「息もできない」

 15日元町映画館でみた。ここは、注目されない映画の上映だけではなく、注目を集めなかった良い映画の2番館的に上映計画を建てたらいいような感じがした。しかし一番大事なことは、映画館のイメージをどう作っていくのかが大事なような気がする。パルシネマは非常に上手にそれを作り上げた。KAVCにもある。ここは元町商店街という普通の家族ずれが通る場所に相応しい映画館だろう。
 ところで映画だが、一部には高い評価があるようだ。キネマ旬報の1位だそうだが、私には合わない。暴力中毒のような日常生活に辟易してしまった。
 家庭内暴力ベトナム派兵とかの現実から出発しているが、韓国人の日常がそれに近いとは思わない。しかし路上で行われる過剰な暴力に、一般人の反応は鈍いのだろうか、と思ってします。主人公の危険なキレル性格は、おそらくその筋の世間に知られるところだろうから、同じ暴力団や警察が警戒していてもおかしくないと思うが、そういった周囲の自然な反応がない。警官に暴力をふるって無事でいる社会というのは、現在の世界の中で想像しにくい。いわば無政府状態というやつだ。韓国はそうではないだろう。
 最後は、主人公が言っている「殴る奴は、いつか自分が殴られることを知らない」のとおりに、自分が殴り殺される。それを周囲の人々が悲しむ。世間に向けている顔と、ごく身近な人々に向けている顔が違う、というのは理解できる。しかもラストにまた暴力的な若者が生まれるというのも、この映画の終わり方として、相応しい。
 そういう意味で、一貫した姿勢を持っている。良い映画の一つの要素だ。
 しかし、私は評価できない。そういうキレルことを容認する社会ではなく、人間関係がそれを止める社会を求めるから。映画も評価もそれを物差しにしている。