為政者は、本当は国民を恐れている

お粗末だが
 24日神戸新聞夕刊に維新政治塾開講の記事を見た。講師陣が載っていた。いずれも2流3流の学者ともいえない学者、評論家ともいえない評論家ばかりだった。
 いまさら堺屋太一でもなかろうと思うのだが、彼が名誉塾長で後は保守反動の官僚崩れだ。まったく新鮮味がない。ブレーンに飯田哲也さんがいるのだから、彼からエネルギー政策を学べばいいのにと思う。
 維新八策にしても、よく練られたものでもなんでもない。陳腐で整合性とか一貫性もなく、ましてや政治的哲学もない。こんなお粗末な維新塾だが有権者の人気は高い。しかも民主党自民党という2大政党は非常に気にしているし、公明党はすりよりみんなの党はどっぷりと漬かっている。
 大阪維新の会がお粗末であることは、ほとんどの政治家はわかっているのではないか。橋下大阪市長を含む大阪維新の会は、一皮向けば知力も体力も財力もその他、何の力もないということを。彼らが気にし、心の底から恐れているのは、国民だ。今、彼らは国民の人気をつかんでいる、それがマスコミも含めた「政治」の風に乗っている、ということだ。
 蜃気楼に近い。
気づかないように
 為政者そして支配階級は、それでも彼らに期待している。それは彼らが国民多数の利益の立場には立たない、と見越しているからだ。
 為政者たちは国民を恐れている。心底から恐れている。アジア太平洋戦争終結の時、安保闘争の時、[3.11]の時に、国民の怒りが爆発して全てをひっくり返すかもしれないと、危惧した。しかし国民の怒りは爆発はしなかった。
 国民は団結した時の力を知らない。土井社会党の時の「山が動いた」とか、先の政権交代の時に、その片鱗を見せただけだ。その力に気づかせないように、マスコミも含めてあちらこちらに分散させようとしている。
 だからたくさんの目くらましを打ち上げる。これもその一つだろう。
 そう思えて仕方がない。