[不信の壁を超えて 3.11後の言論と社会」

 5月3日に標題の集会に参加した。朝日新聞労働組合主催の「第25回言論の自由を考える5・3集会」だ。
 その昔、5月3日憲法記念日に「赤報隊」と名乗る一人の男が朝日新聞阪神支局に押し入り、散弾銃で一人の新聞記者を殺しもう一人に重傷を負わす事件があった。その事件を忘れないために労働組合が、なくなった記者の無念を受け継ぐ形で、毎年、集会を行っている。犯人は捕まらず時効を迎え、すでに10年が過ぎている。私は今回初めて参加した。 
 集会は、むのたけじ(ジャーナリスト)基調講演「新聞に新たな命を吹き込むために」と、標題のパネルディスカッション、パネリストは斉藤貴男(ジャーナリスト)、林香里(東京大学大学院情報学環教授)、マーティン・ファクラーニューヨークタイムズ東京支局長)依り光隆明(朝日新聞編集委員)、コーディネーターは外岡秀俊(ジャーナリスト)であった。
 面白いとか為になるという表現ではなく、間違いなく刺激を受けた集会だった。5月3日はいつも憲法集会(2つの団体のものを交互ぐらい)に参加しているが、いつも良い話を聞ける記念講演だがちょっとマンネリになっていて、別の刺激を求めてきたが、少し違うものを感じた。これはこれで良い集会であった。
 まず、むのさんの講演である。97歳とは思えぬ、自由で闊達。しかもメモも見ずに、立て板に水のごとくに話された。印象に残った話は、むのさんが入社一年たった新米記者たちと話をする機会を得て、むのさんが新米だった時にベテラン記者たちに教えてもらった記者の心得を、話したところ、彼らと通じ合ったという、彼の感激、喜びの話だ。
 「今時の若い者は」という叱責ではない。その教えは平凡な「良い記事を書くにはよく読め」ということ、ニュースとトピックスは違う、ということだった。そこに彼の若い感性を感じた。
 そして新聞は新聞社が作るものではなく、読者との共同作業だという指摘は、私が気づかなければならないものを、言い当てた。
(続く)