『Sing a Song』の感想

神戸演劇鑑賞会5月例会(21.5.18トム・プロジェクトプロデュース公演)

 戦前、戦中、戦後と活躍した日本を代表する歌手、淡谷のり子さんをモデルにした、流行歌謡歌手三上あい子のアジア太平洋戦争真っただ中の生きざまを描く芝居でした。

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 すでに中国大陸への侵略戦争をはじめている日本は、政府も軍部もさらに国民の思想統一を図るために、戦争に反対する団体、個人に対する弾圧を強化していきました。

 その役割を担ったのは、憲兵隊と特高警察です。治安維持法1925年制定、2841年改悪、45年廃止)が取り締まりに使われました。憲兵隊は「軍隊内の警察」という認識がありましたが、そうではなく国民を取り締まりの対象としていたようです。

 天皇制を否定し、戦争反対を鮮明に打ち出していた共産党関係者、関係団体が狙われました。さらに労働者の権利を主張する者や軍隊、戦争に批判的、疑問を持つ者も弾圧します。中国大陸の侵略戦争が激化すると言論、思想から文化、演芸までも取り締まりを強化していきます。

三上あい子の抵抗

その時代に戦争=人殺しには反対する、人を戦争に駆り立てる歌=軍歌は歌わない、という強い心情を持っている三上あい子は、何度か憲兵隊に呼び出されました。

 時局にあわない恋の歌を歌い続けるあい子に、憲兵隊は華美な服装を批判し、圧力をかけて好戦的な軍歌を歌うように言いますが、彼女は何のかんのと言い訳して従いません。老練なマネージャーが何とか圧力をかわし続けていると描きます。

 彼女は人を殺すことを奨励する歌、戦地へ追いやる歌は「歌ではない」と否定します。

しかし「戦争に反対」に矛盾するようですが、彼女は軍の要請に応えるように前線で戦っている兵士の慰問に行きます。わずかな抵抗するように報酬は受け取りません。

大陸や南方戦線では彼女は大歓迎されます。憲兵隊のお目付け役を無視して、現地の兵士たちの前で、華美な衣装で恋の歌を歌い続けました。

そんな強気の彼女ですが、敗戦間際には九州の特攻基地を回った時、特攻兵士の前で歌い、彼らの若い姿を見たときに涙が止まらないエピソードが挿入されます。

そして敗戦です。特攻基地の司令官は自決しました。憲兵隊の隊長は、敗戦を目の当たりにして、「神国日本」を信じ込んでいたのか、怒りと絶望を見せました。

何を見るのか

この芝居に何を見るのか考えました。

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三上あい子を演じた戸田恵子さんの歌がいいし、さっぱりした淡谷さんの性格が伝わってきました。彼女の強い姿勢には共感し喝さいを送ります。気持ちよく見終わりました。

でもそれでいいのかという疑問が残ります。

この芝居では、憲兵隊はあい子に圧力をかけますが、最前線の司令官は兵士たちの気持ちを汲んであい子の味方です。彼女を批判する軍部、政府関係者は出てきません。それ以上に、彼女の同僚の歌手、芸能界からの批判は描かれません。市井のファンもあい子を応援していたかのような印象を持ちます。

果たしてそうか。彼女への怨嗟の声や罵倒はあったはずです。軍部や権力機構からの圧力だけではない、戦争に協力していく人たちとの葛藤が欲しいと思いました。

現在でも、芸能人やスポーツ選手が政治的発言(特に支配層に反対する意見)をするとSNS等の炎上があり、有形無形の圧力があります。沖縄基地や原発を笑い飛ばす漫才師はテレビには出られません。市井の声を代弁したニュースキャスターは確実に飛ばされます。その一方で安倍前総理の桜を見る会に参集する芸能人は覚えがめでたいです。

そういう目でこの芝居を見直すと、厳しい弾圧が描かれていないと思います。

演芸関係では、例えば、芝居の事前検閲があり、気に入らないテーマには直前の変更を命ずるなど芝居興行そのものを潰します。また落語では廓話、間男、浮気等(「子別れ(子は鎹)」「居残り佐平治」「紙入れ」等)が禁止になりました。

そんなことを知っていて芝居を見ると、少し見方が変わると思います。

   会報は芝居の解説ではなく『Sing a Song』では、この時代の言論や表現の統制がどのようなものであったか、あるいは市民生活の締め付けなどを紹介するべきです。さらにこの当時の軍の慰問団の様子を書くべきではないか、と思いました。