2021年7月に読んだ本その1

『虜/藤田宜永』『無罪/大岡昇平』『ショートショート美術館―名作絵画の光と闇/太田忠司、田丸雅智』『林家木久扇 バカの天才マクラ/林家木久扇』『それまでの明日/原尞』『世界7月号』6冊でした。藤田宜永、原尞はさすがに面白かったです。とりあえず3冊です。

『虜/藤田宜永

 見事な恋愛小説でした。

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銀行の金を横領して逃亡した男(小さな町の支店長になっていたが、ちょっとした気の迷いで、先物取引に手を出して失敗し、客の金に手を出してしまった)が、半年の間はあちらこちらと逃げ回っていたが、疲れ果てて、死んだ妻の父が所有していた古い別荘に隠れようとやってきます。誰もいないと思っていたが、妻が一人で住んでいました。

妻は、水商売の女と浮気をし、横領という犯罪を冒した、この男に愛想を尽かしていたから「すぐに出ていけ」と言います。子どもがいないこともあり、失踪中は離婚できないので、逃亡先から離婚届を送ってきたことにする、という条件で23日匿ってもらいます。男は物置部屋の中で、隠れて暮らし始めました。

   妻は、すでに別の男と恋愛関係になっていて、この家にも訪ねてきます。夫が隠れて居ることを知っていながら恋人に抱かれる女の心、それはどういうものか、までは踏み込みません。

息をひそめて、物置部屋の節穴から覗き見る、全く知らない妻の姿にどんどん魅かれていく中年男が描かれます。見事な描写です。

『無罪/大岡昇平

 13本の短編ですが、小説というよりも事件と裁判の概要を物語風に綴ったものでした。195662年にかけて雑誌に掲載されています。戦前に発行された英国の実際の古い裁判を記録したネタ本(エリザベス・ヴィリヤーズ『謎の事件』)を基にしたと筆者自身がいっています。

事件の謎に迫るよりも、被告が無罪になっていく裁判の経過が面白くてそれを書いたが「あまり面白いものにならない」と言っています。

 英国の裁判は陪審制で、日本と違います。日本のそれを大岡は「判事や検事の専門家意識、強権意識、処罰意識」が強いものと批判しています。

 英国は刑事事件の原則「推定無罪」の意識が強いようです。ここでも状況証拠的には怪しい被告も無罪になっていきます。

 この中で異色なのが「シェイクスピア・ミステリ」です。これは謎に包まれている世紀の大劇作家であるシェイクスピアの正体を追い求めた米国人劇作家の推理を検証したものです。

 もう一つは米国の「サッコとヴァンゼッティ」事件です。イタリア移民で無政府主義の二人に強盗殺人容疑がかけられます。警察は物的証拠がないまま、目撃証言だけで起訴しますが裁判での証言は全くいい加減なものでした。

その証言などが書かれています。陪審員の論理ではなく心情に流される判決の愚かさがよくわかります。

当初から冤罪が濃厚で米国内だけでなく国際的にも批判がある事件の経緯です。

ショートショート美術館―名作絵画の光と闇/太田忠司、田丸雅智』

 二人の作家が、10枚の名画から受けたインスピレーションをもとに、それぞれが書いたショートショート(SS)の共作です。

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 名画は、ゴッホ夜のカフェテラス』クプカ『静寂の道』ムンク『吸血鬼』俵屋宗達風神雷神屏風』モネ『雪の中の蒸気機関車シャガール『サーカス』月岡芳年『猫鼠合戦』エッシャー写像球体を持つ手』ルネ・マグリット『光の帝国Ⅱ』平山郁夫『月明の砂漠』です。いずれも幻想的な絵画で、本では白黒印刷ですから暗いイメージでした。

 ゴッホとクプカの絵を載せておきます。

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夜のカフェテラス

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静寂の道


 リアリティのない絵画から発想するSSの傾向はSF的になります。それはやむを得ないのでしょうが、期待したものと違いました。SSですから断片を切り取ったものになりますが、何か物語の展開の一部分を読みたいと思いました。そこに普通の人間の感性ではないけれども、意表を突くような人間心理の深みが足りないし、SFにしてはひねりが聞いていないので、それなりに面白かったのですが、私の評価は「もう一つ」ですね。