都市計画とはなにかを考えた

 今日は無駄な時間と有意義な時間とがあった。
 6時から「都市の競争力と都市計画」という講演会。これは時間の無駄だった。その後職場のみんなとお酒を飲んだ。これは楽しく、有意義であった。
 都市とは何か、人類史において都市はどうやって形作られたか、とかを触れずして、都市計画の必要性を語るのは無理がある。だから「投資」が都市を作るなど、バブルのときの都市の破壊をなかったことのように話をする。
 そして「少子高齢化」や人口減少を重要な課題といいながら、その大きな転換が都市計画の考え方にどういう転換をもたらし、今、何が重要かもほとんど語れない。あるいは、世界的に大都市の時代というのなら、せめて、それぞれの国で地方自治がどういう発展をしているのかも触れないと。アメリカもアジアもヨーロッパも、みんな同じ地方自治であるかのように受け止める。そこはいくら経済の先生でも押さえることだと思う。
 あるいは経済の問題であれば、先進国と新興国の状況も触れるべきだろう。単に大都市の時代というのは乱暴すぎる。
 ただ非現実的なモデルを提示して、そこから「競争」こそが進歩を促すものという。まさに破綻した新自由主義を言葉を変えながら言うだけである。だから自分の役職から都市計画の肝を「個人の協調と地域間の競争」という、ごまかしであり前言を翻すようなことをいわざるを得ない。
 宮崎辰雄元市長の著作を少しでも勉強したのかといいたい。これが神戸市都市計画審議会会長とは、宮崎さんも草葉の陰で泣いているだろう。
 それに引き換え、後の飲み会は楽しかった。昔からの経験みたいなことを一方的に話したから、同年代はいいが、若い人は、もしかしたら聞かされたほうは退屈であったかもしれない。まあそれでも、単純な職場の愚痴から、少し高めの議論まで広がった。今日の講演の批判から、これまでの役所人生の経験から出た教訓みたいなもの、言いたいことを言った。