全国映連活動者会議 11月6日

「どうなる?映画上映―映画配給の今とこれから―」
 標記のテーマで、伊藤重樹(コミュニティシネマ)中野理恵(パンドラ)原田健秀(岩波ホール)3氏のパネルディスカッションがあった。司会進行は全国映連代表の岡本健一郎さん。


中野さん

会議の後のパーティの料理
 映画産業は製作、配給、興行のいずれも厳しいという、「劇映画、ドキュメント」「邦画、洋画」「劇場、非劇場」「どこを見てもどん底」という状況が報告され、「儲かっているのは東宝だけ。そこが金儲けをするだけ」という。
 さらに私たち観客に影響を与え、鑑賞運動の一端を担う映画ジャーナリズムについても「貧困」きわめて低調であり、映画批評、映画評論がない、ような状況。それでいて試写状は2500、3000も出す。ネットで「感想」は一杯出ている。マスコミに登場するのは中身の紹介ではなく、俳優の紹介しかない。新聞の文化欄から映画が消えている。
 しかも、映画業界はこのどん底を突破できる仕掛け、底力を作り出すことができない、展望を語ることができない情勢。何が問題かといえば「若い人が映画を見ない」ということであり、だから中野さんは学校教育の一環に映像教育を組み込むこと強調していた。小さいころから広い空間で大勢で一緒に映画を見る習慣をつけてほしい、ということ。
 特効薬はないが、そこしかないというのは同じ思いです。だから映画サークルの役割は重要。それと映画評論。これは量も質も増やす必要がある。「全国映連・評論賞」をみても踏み込んだ評論、映画以上にものを言う評論がないのが、私にとっては不満です。うまくまとめるのではなく問題を提起する評論というものに魅力を感じます。そのためには2千字では短すぎます。
 それはさておき、この業界の厳しい実態が色々と語られました。その一つは、岩波ホールの上映本数は年に6本しかないということ。これは、改めて驚きです。1本を8週上映だからそれしかできない。しかも220人のキャパしかない。成功を続けなければならない。だから選択することの厳しさがあり、それに相応しい映画がない、という言葉には重みがあります。
 それにしても1本の映画の興行収入が2500万円〜3500万円、そのうち宣伝費が1300万円。仮に2500万円の売り上げだと、1200万円を配給と映画館の折半で600万円。スタッフが10人だそうだが、2ヶ月でこれだと存続できない、と言う計算になる。
 映画の製作費が回収できない実態もすさまじい。岩波でこの状態だから、回収できる製作費から逆算すると3千万円でできないかという。日本での年間公開本数は2007,2008年がピークで800本。そのほとんどが製作費、購入費、宣伝費をどこまで回収できたか。まさに死屍累々だろう。シグロの山上さんはパーティから参加だが、その挨拶で4億円の借金といった。しかしそれが入れ替わっている(古い借金を返し、新しい借金を作っている)から死ぬまでやめられない、という。
 「映画館が一番厳しい」というのも実感だ。街中の独立座館、ミニシアターでがんばってきた人が疲れている状態が伝わってくる。これまでがんばってきた人が「馬鹿らしくなった」と言ったらしいが、彼らの情熱を消耗させる社会であること、伊藤さんは「映画がわれわれが思っているものと違ったものになっていく」という。
 彼は、創立オーナーの次の世代のネットワーク作り、という。映画鑑賞運動も、今そこに差し掛かっている。70年代の盛り上がりを経験した人が去ろうという時期だ。
 いずれもこんな日本にしたものに激しい怒りがあるように思う。しかし、それは私たちなのだということも、事実である。
 シンポジユウムは本当に難しい。準備が必要と思う。実質3時間に足らない短いのだから、論点を明確にしたもの、参加者が聞きたいことに答えるものが必要だろう。