「信さん 炭鉱町のセレナーデ」

 11日に元町映画館で見た。
 この映画の主人公、守は私と同年代だ。だから親近感を持つと同時に「私はそうではない」という拒否感もはっきりと自覚的に持つことができる。ただ守が言うように、子どもであったがゆえに、この時代の大きな流れは、そのときはまったく知らなかった。後に、色々と調べる中で、あの時代を知っていった。
 思い出すことが一杯あって、長い長い感想になるだろう。この映画を見ながら、思い出したり考えたりしたことを、だらだらと書いていく。途中で飽きてくるかもしれない。
漫画 
 この映画では、最初に鉄人28号が出てくる。信一が主題歌を口ずさみ似顔絵を書くところに違和感を持った。私もそれは知っているが後日の再放送ではなかったか。放映が始まった昭和38年には、我が家にはテレビはなかった。はたして彼の家にテレビはあったのだろうか。きっとあった。炭鉱夫は結構良い給料をもらっていたのだろう。炭住は家賃の負担も低く、播州地方のバスの整備士よりも豊かな生活であったと思う。とそれは納得した。
 守は少年サンデーやマガジンを読むことができた。これは「ハイカラ」で余裕もある家だろう。私が漫画本を買ってもらうのは小学生の高学年であった。それも何がしかの記念日であった。
 しかし私は漫画少年であった。本屋の立ち読み常習者であった。漫画本の立ち読みは本の窃盗と変わらない。今ではそう思う。その当時は権利のように毎号、すべての漫画を読んでいただろう。本屋の亭主は苦々しく見ていたと思う。それでも時々しか注意をしなかった。
 その当時はまったく気づいていないが、おそらく私の氏素性を知っての寛容であったろう。私の親戚は商店街の有力者であったがゆえに遠慮していたのだ。後にその親戚のおじさんから「私が大の漫画好き」であること知っていると聞かされた。
 それと、親戚にたくさんあった。その家に遊びにいくと、私は行ってから帰るまで読んでいたようだ。大人になってそれを言われる。その家は金持ちであった。決して旧家ではないが、子どもに漫画本を自由に買える程度の小遣いを与えることが出来た。それも大人になって分かった。
 朝鮮人の子どもと友達になれる守はかなり勇気のある子どもだ。私にはなかった。しかし教室の密度が低い。あのころは一クラス50人以上いた。教室の後ろまで机、椅子があったことを覚えている。
公害
 とここまではたわいない子どものころの思い出だ。ここからこの映画と相容れない部分が出てくる。それは公害問題だ。あの時代は公害が出始めた時代だ。川で泳ぐことが禁止され、海も町から離れたところへ行くようになった。学校の隣の工場から時々異臭が流れてきた。田んぼに農薬がまかれ、村の中を流れる小川はどぶになっていた。
 それは子どもにはなぜかは分からずともいやな感じだった。この炭鉱の島にそれがないはずがない。海も山もいつまでも変わらない、とはおかしい。
 炭鉱の労働争議、炭鉱事故と三井三池の闘いを連想させる。映画「三池終わらない炭鉱の物語」とちがい、その悲惨さは事故としてしか描かれていない。信さんが死んだのは会社の責任が重大だ。「日本資本主義は労働者の生き血を吸っている」という怒りがない。あるいはアメリカ映画「メイトワン1920」のような会社側のものすごい暴力を告発しない。朝鮮人の李が「生活がある」ために労働組合を裏切ることもやむをえない、と言うように描いた。信一の養父が死んだ時、彼の妻(大竹しのぶ)にあの人が死んだのは「会社の社長か、組合か、本人か」と言わせる。その時代は、労働組合の影響が大きくて、そう思いたくなるのは自然の感情だろう。しかし圧倒的に会社の責任である。あるいは政治の責任といってもいいだろう。
 炭鉱がつぶれ、守とその母・美智子はこの町を離れる。(なぜ引越しの日、自分で荷物を運ぶのに背広を着てネクタイを締めているのか、分からない)守は高校を卒業して本土の信用組合に勤めているという。彼はその船の上から、思い出のゴムボールを海にほうる。惜別の意味だろうか。
近所の人びと 
 守は美人の母と彼女のふるさとに返ってくる。当然だが、隣近所は彼女の幼馴染や親戚がいたと思う。だから友達関係も親の世代から色々つながっている。中尾ミエが扮する駄菓子屋のおばちゃん、あるいはおばあちゃんといわれているが彼女は、誰からもそう呼ばれていたのかもしれない。
 しかしここは炭鉱町であるから明治以後に作られた町だ。まあ三世代だろう。だからまだ一族という感覚ではないだろう。
 それに比べれば、私の田舎、播州は江戸時代の村だろう。わが氏神、魚吹神社にはかなりの歴史(神功皇后を由来としている)があるから、わが一族もかなり昔から、その地に住み着いていたのだろう。
 だから隣近所の付き合いも歴史がある。村の中はいくつかの系列に分かれている。当然、友達もそれに影響される。家柄も言われるし、いろいろ噂があるし、現在の暮らしぶりも言われる。
 おそらく我が家は真ん中より下であった、と思う。中学に入る頃、自我が確立するにつれて、その呪縛を自覚し、高専に行く頃から、それから出ることができた。
 守は、最初からニュートラルであったし、信一という特別の存在にめぐり合う。その妹とも兄弟のように混じる。しかしその母(大竹しのぶ)とは距離がある。
 信一と守の母のような、危ない関係は知らないが、親戚のおばちゃん達に女の色気を感じたこともある。私が中学生のとき、30代だからだから今考えると女ざかりだから当たり前だ。
 この映画は、あまり鋭さはないが、12月例会「女の子ものがたり」と比較しながら考えると面白い。それはこれが1960年代から70年代の男の視点であり、あれは70年代から80年代の女の視点であるからだ。
 ともに貧しいというところを共通点にしているから、時代の違いと男と女の違いも感じられる。