「あてになる国の作り方」井上ひさし、生活者大学校講師陣

 山形県川西町遅筆堂文庫で、1988年からこまつ座主催で開かれている講座「生活者大学校」の2001年の講義録です。井上ひさし山下惣一(農民、作家、生活者大学校教頭)、北村龍行(毎日新聞社論説委員)、井出勉(ジャッパン・プラットフォーム事務局長)
 「フツー人の誇りと責任」という副題が付いています。
序章 フツー人の誇りと責任(井上ひさし
 20世紀から21世紀になるのなかで20世紀を振り返る。
 平均寿命1945年♂23.7歳♀34歳、47年♂50歳♀54歳、現在♂78歳♀85歳と平和であり医学の進歩の影響です。
 しかし「次の世代への多くの難問を残す」。例えば核兵器や化学有害物質。「対人地雷」は今のままのペースで除去作業すると1000年かかる。チェルノブイリ事故は被災者200万人死者20万人。移住費用46兆円。
 日本では原発は「安全でCO2を出さない」といっていますが、どうでしょう。
第1章 安ければいいのか 安心できる食料立国をめざす(山下惣一
 大根おろしが冷凍食品として輸入されている話。
 農業に関わる「無知」の話。和牛と国産牛の違いは、「和牛」は黒毛和牛、褐色和牛、無角和牛、日本短角和牛の4種類。「国産牛」は和牛以外の国内産の牛。ホルンスタインなど肉用のオス牛。日本企業が外国で育てた「和牛」が生きたまま輸入されて日本で3ヶ月以上飼育されて「国産牛」になる。
 狂牛病以来、牛に耳票がついた。だから店頭の肉は誰が作った牛かわかる。そういう表示をさせるのは可能だが、一般的にはついていない。それをさせるのは誰か。
 「地鶏とブロイラー」のちがいは、地鶏は在来種50%以上の鶏。地面で育てるのは「平飼い」という。
 山下さんは農民として生きていく力と知恵があり、それを言葉にして、私たちに伝えてくれます。しかもそれは世の「権威」とかにはとらわれません。率直です。
 そこから実に政治的な言葉が出されてきます。大新聞社の政治部記者が政局しか見ないこととは対照的に、政策とか国の基本的な方向に言及します。自身は「反グローバリズムの穏健派」といっていますが、鋭い刃が売国的政治家ののど元に迫ります。
 この章の締めくくりで、農業と平和憲法の関係を明らかにしています。「勝ち残った国の耕地で世界の食糧がまかなえるのか」という提起です。これを今TPPを進めようという政治家や新聞社はなんと聞くのでしょう。
 地球上には、現在でも飢餓レベルの人々は10億人を超えます。それを解決するために日本は何をするべきかという観点を持つべきでしょう。
 ヨーロッパ諸国は食糧自給の考えが強いのは「戦争と動乱の歴史」から「基本的に隣国を信じていない」、だから「自分の食い扶持を持たない隣人ほど怖いものはない。いつかそいつは銃を持ってこっちの食を奪いにくるぞ」と思っていて「自分の食料を持っていることはよそへ鉄砲を持って食を奪いにいかない」という意思表示であるということです。
 だから食料大輸入国である日本は、周辺国から見れば危険です。農業を守ることは「非戦平和運動」です。
第2章 モラルの高い新しい日本経済をめざす(北村龍行)
 この人は新聞社の偉い人です。しかし山下さんの足元にも及びません。私に言わせれば、ほとんで通俗的な話であり、私がどこかで聞いたことのある話、あるいは、それはおかしいという話です。
 結びで「民間企業の苦しみは、国や地方自治体どころではありませんでした。しかし、どうやら変わり終えたようです」といいます。これは2001年現在(講演の後加筆しているようですが、出版は2002年10月)ですから、小泉構造改革が始まったばかりで、これ以後も大企業は儲け続けるが、労働者の賃金は下がり続け、社会保障の水準も切り下げられます。
 企業や自治体は苦しみません。苦しむのは、そこで働いている労働者であり、自治体のサービスを受ける住民です。
 この章の最初のほうから行きましょう。北村さんは1990年代からのグローバル経済、大競争の時代の世界情勢をアメリカン・スタンダートの観点からしか説明しません。ヨーロッパや南アメリカアメリカ支配から離れる動きを見ていません。
 日本の国際競争力はかなり低く、その最大の要因は官僚支配だといいます。その例として、大規模小売店舗法(「大店法」)を出します。これはおかしいです。この部分を読んで私は、この人はだめだと思いました。
 「大店法」は大規模なショッピングセンターを寄生するものでが、それは「商店街の生き残りに役立たず、同時に日本の大手小売業の国際競争力も奪った」といいます。それと似たような論理で自民党はこの法律を廃止します。その背後にはアメリカの圧力、アメリカの「トイザラス」の進出がありました。
 この法律があっても地方の商店街は衰退しましたが、廃止をして息の根を止められたところも多くあります。
 この状況を見て官僚の規制が「日本の国際競争力を失わせたひとつの例」といいます。そしてこれに続くのが銀行の公的支援です。
 この二つを結んで「規制による罪は大きい」といいます。おいおい、これを一緒にするなよ。
 大銀行は税金で助けてもらって、恩を仇で返す中小零細企業貸し渋りなどをして大儲けに転じますが、地方の商店街はシャッター通りとなり寂れたままです。
 その一方で、北村さんは市場原理と違う論理で動く地域経済の動きも紹介します。しかし、それは無花果の葉でしかありません。
 小泉構造改革を「金融や情報通信など、本来輸出型ではなかった分野に対しても『国際競争力をつけてもらって、稼いでもらわなければ』ということになって、今回の構造改革につながるのです」と評価しています。
 まったくおかしいですね。2011年から見てもそう思っているのでしょうか。
 また「9.11ショック」では、このテロが「経済のグローバル化に急ブレーキをかけた」という観点でしか見ません。このテロを生み出したのはグローバリズムであるという問題提起ができないようでは、どうしようもない。この生活大学校を企画した人の感覚を疑います。
第3章 世界にあてにされる平和貢献国家をめざす(井出勉)
 航空会社からNGOを支援するNGOに出向するという、ちょっと変わった経歴の人ですが、すごい決断ができる人だと思います。安定した職に在りながらアフガニスタンイラクに行くなんて事は普通は思わないけれども、そういう決断をして、しかも冷静に役割りを果たそうとしています。
「NGOは逃げなくてはならない」や「戦争は命の区別をつけられない」「軍隊が人道支援?」など、現場をよく見ているし「軍事力で国際貢献はできません」と明確です。グローバリゼーションの考え方にしても「難民の受け入れ」を受け入れるべきという意見は、ものすごく説得力があります。から菅首相のTPPで「開国」などというのとはまったく違う、日本の未来図を示すものだと思います。
 「NGOはお節介のプロ」であるから「お金が一番」という言葉にも、協力します、と思いました。
終章 競争か、共生か(井上ひさし