大本営発表

北朝鮮や中国のマスコミの状況を笑えないな、と思う。社説や東京発の情報は大本営発表である。
しかし、それらと違うのは現地取材でがんばっていることである。事実をとらえること、それを検閲せずに放映することで、テレビはかろうじて国民の信頼を得ている。
そのことをマスコミ人はどの程度深刻に感じているのだろう。
これほどの大規模で深刻な災害に直面すると、さまざまな面で本質的な姿が出てくる。マスコミは大地震津波原発事故という、たとえ一つであっても大変なことであって、深く考えることなく「想定外」という言葉で、すべてを免責するような論調に陥ってる。
私自身もやむ得ないな、と思っていた。しかし18日神戸新聞池内了先生の論文「原発と責任 『想定しておくべき』事故」を読んで、想定外とそうではない事柄を厳しく峻別するべきというのは、まさにそうだと思った。
地震津波原発は違うのである。「55基も海岸べり」「地震の巣というべき三陸沖」に建設したことや「外部電源や非常用電源が途絶えたことは、システム設計が甘かった」という指摘をマスコミは迅速的確に言うべきである。それを見過ごすのは、昨日書いた「原発宣伝中毒」だと改めて思った。
私たち国民全体も「エネルギーを使いすぎる体質」を真摯に反省する必要がある。
そういう観点から言うと、17日の朝日新聞「オピニオン 3・11」ではまったくピントはずれだ。軍事アナリスト小川和久さんの「専門家を集めた『司令塔』必要」は危機管理の本質的な問題である危機が発生する可能性を事前につんでおく問題には触れることもない。「拙速を旨とすべき」などわかったようなことを言いながら、池内先生のような本質には触れず、後出しじゃんけんをしている。
 政府の諮問委員をしながら、意見を言ったが「実現しなかった」など危機管理の専門家の肩書きが恥ずかしくなるような言い訳をしている。
 しかも司令塔がしっかりできれば、被災者救助がうまくいくような言い方は「官僚的発想」と選ぶところがない。きっと公務員削減という実戦部隊を切り捨てるような政策に反対したことがないのだろうと思う。
資本主義の本質を批判するべき
 忘れないうちに行っておこう。為替市場で未曾有の円高となっている。資本主義の露骨な本質が明らかになった。市場はだれがどんなに困っていようがどうしようが関係ない。儲かることだけをする。
 これまでも、国際的な投機組織によるアジア諸国など発展途上国をいじめる通貨危機が何度もあったが、日本人は彼らの痛みを思いはかることもなかった。都留重人先生の本のタイトル「市場には心がない」を思い出した。
 国際投機組織を規制する問題に日本はアメリカとともに反対してきたが、それを反省するべきだろう。困っている国や弱い国に対して、それを庇護するような資本主義に規制をするべきだろう。
 せめて戦争を始めるときにだけ「人道的」という言葉を使わずに、経済規制も「人道的」に必要だと、マスコミ論調はなるべきだろうと思う。