10月例会学習会「リーマン・ショックとアメリカ」平野喜一郎

 9月28日に10月例会『キャピタリズム』の学習会を行いました。マルクス経済学の立場で,日本や世界の動きを研究されてきた平野先生から標記のタイトルでお話をお願いしました。


 アメリカ経済のリーマン・ショックの①前史として1929年の世界大恐慌の頃、そして直前までの②戦後の経済発展、ニクソン・ショック、オイルショックの時代、③リーマン・ショック、④ユーロ危機、そして⑤現代の課題といったお話をしていただいた。
 ①は1920年代のバブル、好景気があって、株価の暴落と金融機関の破綻という恐慌に共和党のフーバー大統領は対応できず、民主党ルーズベルト大統領は、ニューディール政策といわれる政策を次々と打ち出した。その第一は銀行の投機的業務の禁止です。「グラス・スティーガル法」と呼ばれる規制法は、その後1999年まで長く銀行の投機を防止してきた。TVAがあり、文化スポーツに力を入れた。しかし不況は戦争によって終了した。
 ルーズベルトが登場したのはヒットラーが政権をとったのと同じ1933年。アメリカとドイツは不況から脱出に、それぞれの道を選んだ。
 第2次世界大戦後、アメリカは発展し世界一の経済大国になり、一方で西側を代表して戦争に明け暮れた。朝鮮戦争ベトナム戦争はその際たるものだが、ラテンアメリカ等の第3世界の内戦にも数え切れぬほど介入している。そして、その戦費に耐えられず財政破綻し、そして大企業の多国籍化によって、国内産業は疲弊して行った。ドルと金の交換の停止(ドル・ショック)、石油の高騰(オイル・ショック)で世界同時不況に陥った。
 1980年代日本の「土砂降り」輸出にさらされ、アメリカ映画でも、インディアン、ナチス、東側諸国に次ぐ悪役として日本が登場する。アメリカは日米構造協議やプラザ合意によって、「目下の同盟国」日本に負担を強いた。
 それが、1990年代、日本がバブル破裂後の不況「空白の10年、20年」に見舞われる中、アメリカはITバブル、住宅バブルで好況が続いた。しかしそれは「雇用なき好景気」だった。
 そのバブルがサブプライムローンの破綻を契機に破綻した。
 銀行法が改悪されて、銀行業務と投機的な証券業務が一緒になり、金融工学等が怪しげな金融商品を開発していた。それらが世界中にばら撒かれていた。金融恐慌とそれに引きずり込まれるように実体経済も落ちていった。
 ④ユーロ危機になっている。しかしギリシアが危機になっても信用保証証券化されている。スペイン、イタリアが危機になれば、いっそう深刻な事態になるが、
(続く)