『バビロンの陽光』『天国の日々』『サラの鍵』『アンダーグラウンド』『デビルズ・ダブル』

 2月に入ってかなり映画を見ました。ここには全てを載せるのではなく、気になったものだけにします。
 まず2月例会『バビロンの陽光』です。原題は「陽光」ではなく「息子」です。このタイトルにしたかった気持ちは伝わってきます。なぜでしょう。配給会社の人は、この映画が言いたいことが伝わったのでしょうか。


 イラクの映像はイラク戦争、その前の湾岸戦争の時にも見ていますが、こんな田舎、荒野、砂漠ばかりを見続けると、これが本当のイラクなのだと思いました。クルド人が住む山岳地帯から千キロの道のりを、戦場へ連れ去られた息子を捜して年老いた母が、息子の子・孫と一緒に下ってくる物語です。
 ロードムーヴィという旅物語です。この種の映画では旅の目的と旅の途中の出来事に関心が向きますが、本当は、その風景が一番のテーマではないかと思います。昨年7月例会だった『闇の列車光の旅』でもそうですが、物言わぬ風景が、ずっしりと堪えます。
 その中で母は息子の死を知り、そのまま息を引き取ります。息子の子はどう生きていくのか、はっきりと映画は示さずに終わります。
 しかし映画の中で、イラクイラクの人々が歩む道は示されています。悲惨な戦争、それを招いた政治、民族対立をどう乗り越えていくのかということです。この映画では許すということと相互理解、和解であることがいたるところで示されます。それが陽光です。
 それに引き換え、同じ時期のイラクを描いたデビルズ・ダブルは、侵略者であるヨーロッパの視点であると思います。


 サダム・フセインの息子ウダイの影武者だった男が、ウダイの狂気を告発する映画となっています。確かに専制君主の愚かさを描いています。しかもこの映画では「王族貴族の時代ではない」ことを強調しています。
 しかし、だからといって国民が世の中を変えていく主役とは言いません。ただ哀れな犠牲者としか描いていません。この愚かなウダイが愚かであってほしいと思い、利用しているものは誰なのかも言いません。
 ここではイラクの華美な近代都市と建築物が溢れています。
 『サラの鍵』は、依然見た『黄色い星の子どもたち』(これはあまり感動というものを感じなかったし、批判するべきものでのなかったからスルーした)と同じ、第二次大戦下、フランスがナチスドイツに降伏した時期に、フランス政府がユダヤ人を逮捕してナチスに差し出したという「ヴェル・デェブ」(冬季競技場)事件をテーマにしている。


 この映画が優れているのは、これを過去の出来事と閉じ込めていないことだ。現代を生きる女性記者、そして彼女が、その事件を生き延びた女性を捜し、その生き様にダブらせて描いている。
 シラク大統領がフランスの犯罪であると明らかにし、またノルウェーの首相もナチス占領下の犯罪を謝罪している。色々な政治情勢の中での告白であり謝罪であると思うが、それをしないとその国や国民に未来はないと思ったということだ。それは正しい判断だと思う。
 映画は、自分たちが逮捕されるときに、小さな弟をものいれに隠し鍵をかけたことを、気に病み命をかけてユダヤ人収容所を脱走する少女サラを追いかける。もう一人は現代のパリに住む雑誌記者の女性ジュリア。彼女は「ヴェル・デェブ」事件を調べ始めて、偶然にも自分が住む予定になっていたアパートがそれに関わっていたことを知る。その経緯を調べ始め、そして彼女の義祖父がその家を手に入れるきっかけを知る。
 「歴史とは現在と過去との対話」というが、それを見事に描いた。
 アンダーグラウンドはこれまた歴史と人間が格闘する、ユーゴスラビアの現代史を描く、見事な大作といっていいと思う。
 第二次世界大戦勃発とナチスドイツに占領されたユーゴから映画は始まり、激しい内戦を経た現代までを描く。それをコメディタッチでシュールな映像表現をふんだんに使いながら、歴史を抽象的に厳しく描いた。傑作だと思う。
 ナチスドイツの占領下「第1章戦争」

東西冷戦の「第2章冷戦」


そして悲惨な内戦の「第3章戦争」


と3つの時代のユーゴスラビアと、やはりその中心に居たチトー率いるユーゴ共産党を辛らつに描いた。
 第1章のそれは反ナチ闘争の勇敢なパルチザン、ある面で言えばおっちょこちょいのヤクザ。そして終戦間近から地下にもぐって武器作り。戦争前戦争中の事実を隠したい人々がいたという。
 第2章は隠された人々、事実は長い長い間現実から隔離されていた、という。その間に彼らは武器を作り続けた。地下にもぐったときに生まれた子供が大きくなって花嫁をもらう、それが次の時代へ幕をあけた。
 それが第3章、無意味な戦争が続く。なぜだろうと思っても、それはわからないままの世界が広がっていく。そう戦争に理由はない。武器があれば、人間は殺しあうというようだ。