「正平調」「天声人語」「余録」「春秋」「編集手帳」

 先週14日から19日までの表題にある新聞の一面コラムを読みくらべることにしました。分析まで行きませんから、その簡単な感想を書きます。
 まず、どれがどの新聞のものか、という名前の確認ですが[神戸]が正平調、[朝日]が天声人語、[毎日]が余録、[読売]が編集手帳、[日経]が春秋です。
 結論から言うと正平調が、私にとてもぴったり来ました。柔らかくてわかりやすい、それでいてきちんとした姿勢を持っている、と思いました。
 まず内容ではなく、見た目かなと思って、漢字ひらがなの比率でひらがなが多いかなと調べましたが、そうでもないようです。最初の出だし50文字のうち漢字は20字前後で、内容によって多い少ないがあるが、そんなに差はない。字の大きさは春秋が少し小さいだけで、他は同じ。字数は余録658字、天声人語603字、正平調585字、春秋528字、編集手帳458字ということになります。
 余禄と編集手帳で200字も差があります。これはかなりの情報量の差です。短くて内容も軽いと思います。
 さて内容です。14日はバレンタインデーですが、それをネタに書いたのは正平調だけです。余録と編集手帳天皇の心臓手術、天声人語リクルートスーツ、春秋はオリンピックでした。天皇の手術については19日天声人語も書いている。
 橋下大阪市長を書いたのは2月18日正平調、2月15日余録、2月15日天声人語です。中身を覗くと「維新の会」がだした「船中八策」にからめたもので、正平調は「トップダウンが目立つ」と批判するが、余録は「何やら怖いもの見たさの気分も漂う」、天声人語は「熱狂の向こうに光があるか茫然があるか」と懐疑に留まっています。
 他はどんな主題かと並べてみると、まず正平調は15日「ドイツから神戸にきて亡くなった音楽監督のこと」16日「福祉現場の虐待を『厳しい職場環境や人間関係が動機とされる事件が全国各地で相次ぐ』とみる」17日「福島の小鳥と放射能」19日「中小企業のものづくり」となっています。
 余録は16日「日本の海洋天然ガスの可能性」17日「企業の粉飾決算の徹底究明が『日本の企業と市場への信頼を保つ』という」18日「宋代の詩人の言葉を引用してのカンニングの話」19日「うなぎの稚魚が不作という話」です。
 天声人語は16日「『共通番号制度』がさらに監視社会へ踏み込む」17日「梅は春を呼ぶ花」18日「生き物の世界と、人間はそれを壊す」といいます。
 編集手帳は15日「映画女優三崎千恵子さんのこと」16日「辞典を引き合いに野田批判」17日「米長敗北を引き合いに老後の男」18日「全長3センチのカメレオン発見を引き合いに自嘲」19日「漱石から猫友が集う話」と無難で軽い。
 春秋の主題はほかと共通するものは少なく、15日「現代中国の政界」16日「シラスウナギの不漁」(これは余禄と同じ)17日「オリンパスの事件」18日「三崎千恵子さんと淡島千景さん」19日「大和急便の話」です。
 印象を言うと、まず編集手帳は短いということもあるからか、深みがなく主題も厳しいものを選んでいない。春秋は個別の企業、業界に関わる主題であり、個人よりも組織に重点がある感じです。
 [朝日][毎日][神戸]はもう少し詳細に書きます。
 天声人語は、この種のコラムの代表のように言われているが、そうかなと首をかしげる思いです。主題の本質に今一歩踏み込んでいないと思います。14日ではリクルートスーツに個性がない、といいながら個性を評価しない、むしろ「上」に従わないものを切り捨てる企業社会を踏み込んで批判していません。私が言う個性とは、企業や体制側が望む「個性」ではありません。むしろ欠点こそが個性であると、私は思っています。15日の橋下と維新の会では、世論とそれを上手に取り込むやり方等、その特徴は紹介し「巨大化する風船」と揶揄しているものの、はっきりと「国民生活を豊かにする中身がない」とまではいいません。16日は共通番号制度が「思想調査」につながることや、個人情報保護法が「人と人のつながり断ち切る」と、ここまでは明快だと思うが、「周知と議論がもっとほしい」と逃げています。ジャーナリズム本来の国民の立場にたった意見は避けています。
 長くなりますが、全部にコメントします。17日は梅の話で、ほとんど社会の問題に踏み込んでいません。なぜだろう。18日は生き物を作った創造主に敬意を払い、それを破壊する人間の驕慢を漠然と戒めているだけだ。それを推し進める仕組み、思想にまで言及しません。19日は高齢の天皇を気づかう主題です。それはそうだろう78歳だから、公務からはずすべきだと思います。もっと簡単に言えば公務を果たせなくなれば「象徴」を交代すればいいと言えばいいのにと思います。それはやはり「不敬罪」に当たると自己規制しているのでしょうか。規制緩和が大好きなマスコミでも、この種の規制だけは膨れるばかりです。
 余録ですが、実は毎日新聞を切抜きをすることは多い新聞で、個々の記事はがんばっているなという印象ですが、このコラムは保守反動の傾向かな、と思いました。14日は天皇をここまで言うか、と持ち上げいます。15日は司馬遼太郎の「竜馬が行く」を引用して維新の会を比べているが、中身にまでは踏み込まず、現在の国政の揶揄に留まっています。16日は天然ガス資源「メタンハイドレート」の紹介で、その開発を「前のめりのチャレンジは大切にしたい」といまだに化石燃料に期待をかける姿勢は、この新聞の本質かなとがっかりしました。17日はオリンパス粉飾決算を批判していますが、それに留まっています。同じようなことをしている大企業はないのか、それを指南する証券マンはいないのかと、コンプライアンスを守る立場から言う言葉はないのかな。後出しジャンケンではだめでしょう。18日のカンニングを主題にしていますが、これもわかりにくい。科挙試験のカンニング取締りと昨年のカンニング事件を絡めているのだが、大学入試と科挙試験では試験の性格が違うと思うから、その監督も違うように思うのだが、そこら辺りには何も言及していません。19日はさらにわかりにくく、うなぎと環境破壊だが、本当に漠然とした一般的な話にしています。形とポーズは、社会問題に批判的だが結論をごまかすのが保守反動の常套手段だと思います。
 それでやっと正平調にたどりつきました。14日は砂糖が「アルコールなどに匹敵する『有害物質』」という最新の研究成果を紹介しながら、「なんでも過剰は禁物」と、過剰でなければという逃げ道も用意して、上から目線でないのがいいのです。15日は神戸の特徴として欧米文化の先進的導入をいい、具体的なドイツ人音楽監督を紹介します。神戸は「明るいが、陰影に欠ける」と指摘し、それを補う外からの魅力をいいます。
 16日は「支えられているから、立っていられる」から「周囲に支えられているようで、周囲を支えている存在」と関係を導き、それが最も重要な医療や福祉の現場の問題を職場環境、人間関係に言及しています。17日は福島の問題です。今回読んだコラムで唯一[3.11]を主題にしています。しかも内容も関心を惹くものです。
 18日は橋下大阪市長と、その「維新八策」に言及しています。竜馬のそれは「物事は公平な議論によって決めるべきだ」というのに、橋下は「ついていけない」ようなトップダウであり「橋下色のみに染まったかに見える八策を一度、『せんたく』してみてはどうだろう」とまで言っています。拍手。19日は中小企業の重要や役割を具体的に紹介しています。「職人の技と開発力があってこそ、会社は成長する」「人々の働く姿から、ものづくりに携わる誇りと喜びが伝わってくる」とまで書く姿勢は他紙と歴然と違います。