国家公務員の採用削減

 来年度の国家公務員の採用人数を4割減とすると政府が発表した。給与削減に続く、消費税増税のための「身をきる」政策だという。しかしこれで「身を切った」と思う国民がいたとしたら、いかにも能天気だ。
公務員は多いのか
 マスコミ等の宣伝で国、地方の公務員は、市民生活に役立つ仕事をしていないからいくら減らしても国民生活に関係しない、あるいは多少減らしても、その分仕事の密度を濃くすればいいと思っている国民が多い。しかし先進資本主義国の比較で言えば、人口当たりの公務員の人数は日本は半分から6割しかいない。これは政府が公表している統計資料で明らかだし、まともな研究者は日本の国、地方の公務員が多いとは言わない。
 東日本の自治体の仕事や被災者の生活支援で、国・地方の公務員の仕事が増えていることは、誰も否定しようがないだろう。にもかかわらず、赤字の企業が「リストラ」するのと同じ感覚で、財政が厳しいということから、職員数の削減をすればいいと思っている、サラリーマンもいる。
 民間企業は儲からなければ、その仕事から撤退すればいい。公務はそうは行かないことを、国民市民はわかってほしいと、これは切に思う。私も公務員の端くれだが、我々の仕事が市民生活に直結していることを伝えていないのなら、忸怩たるものを感じる。
身を切るとは
 それと対照的なことは、政治として身を切るのはまず第一に政党助成金だろう。そして米軍への思いやり予算も無駄だ。この二つについては野田内閣は一切触れない。マスコミもほとんど追及しない。さらに軍事費削減についてもそうだ。
 議員数の定数を減らせという意見もあるが、これは国民の声を減らせといっていることと同じだ。もし議員にかかる経費を減らすのなら報酬を減らせばいいと思う。それなら国民の権利はまだ守られる。
 それを例えば道上洋三朝日放送などは民間企業のリストラと同じ基準で議員定数をみている。馬鹿とはいえないが、一般国民とは違う誰かの代弁をしているのではないかと思う。
 道上洋三は朝から晩まで一生懸命働いているバス運転手の給料が高いと批判しているが、朝の番組だけをやっている彼の年収はいくらかを明らかにしてほしい。500万円以下だったら庶民感覚かなと思うが・・・。
 日本は思想信条の自由があり言論の自由があると信じている人が多い。そういう元に世論が動いているはずだが、私はかなり操作されていると思っている。
 近代経済学が言う、自分の利益になるように人間は行動するという考え方から言えば、あまりにも自分たちの不利益になることを選ぶ人が多い、と感じるからだ。