連城三紀彦の『夏の最後の薔薇』と『風の墓碑銘』『傍聞き(かたえぎき)』『駅路/最後の自画像』

 連城さんが10月19日死亡されていました。とても残念です。私は彼の小説のファンです。彼の作風は、ミステリーに分類されるのだろうと思いますが、とても美しい流れるような文章で、男女の心の機微を描く恋愛ミステリーとでも呼びたい小説です。
 10月31日[神戸]で文芸評論家の郷原宏さんが追悼文を書かれていて「緻密なプロット、巧みな語り口、犀利な心理描写もさることながら、何よりも文章が美しかった」と紹介されています。
 65歳ですから、作家としてはまだまだ活躍される年齢です。直木賞も取られていますが、「大作」というものを書くタイプの作家ではありません。しっとりとした色気を感じる、それでいてきりりとした、味の良い佳作と呼びたいものが多くあります。
 今月読んだ図書館の本の中に彼の短編集『夏の最後の薔薇』がありましたので、簡単に紹介したいと思います。
 ここに収められた12篇は、平凡な、夫婦もしくは夫婦のような男女が登場して、その間に男、もしくは女をはさんで、愛憎とでも言うのでしょうか、それぞれの微妙な心の揺れ具合の中に、謎を孕んでいて、それが繊細な文章でつづられていて、なんともいえない絶品の味わいです。そして題名がしりとりになっているという凝りようです。
 表題になった『夏の最後の薔薇』は、恋人に振られたような若い男と、夫に浮気されて家を飛び出してきた中年の女が、電車の中で知り合って・・・。が意外な結末になります。『薔薇色の嘘』は、男を作って出て行った元妻から突然に呼び出しの電話がかかってきて、4年もたってから慰謝料をくれという話だが・・・。書き出しは「幸せって落とし穴があるわね」なのですが、何が嘘なのか、幾重にも憶測を重ねながら、嘘の中にある強い意志の恐さを感じます。
 そして次の『嘘は罪』は、親友といえる女友達から、夫の浮気相手と逢って、と頼まれて・・・。それが本当は自分の夫の浮気相手という仕掛けから、別のことが明らかになってきます。
 最後は『雨だれを弾く夏』で、ショパンの「雨だれ」を弾きたいと、娘のピアノの先生の元に通う男は、はるか昔の母と大学生の浮気を思い起こしていた。それが・・・。なんでこんな結末になるのか、と思うものの、それが「連城のワールド」です。
 それで美しい文章の例を出そうと捜しましたが、いざそう思うと、うまいのがなかなか見当たりません。それでも、これはどうでしょうか。
 『鍵孔の光』にある、男と女が最初に出会って、一目ぼれをするシーンです。
「社長への挨拶のついでのように黒田を見て、目だけで微笑した。目の細め方が真正面にいる黒田を酷く遠くに見る風だったが、そのときは視力が弱いのかもしれないと思った。全体が無彩の印象の中で、唇の真紅が異様に映え、その陰に隠れて鍵穴から覗くように、細く黒田を見た・・・。」
 改行もなく一気に読ませて、ここから謎ばかりの付き合いが始まります。
 『風の墓碑銘』乃南アサ)は2度読みました。当然のこととして、途中で以前に読んだことを気付き、結末も思い出しました。しかし、それでも読みました。
 一度読んだことを忘れて読み始めたのは、出だしの事件が印象に残らなかったためかもしれません。男と女そして胎児の白骨が発見されるのですが、平凡でのんびりした書き方です。
 荒筋は思い出してきたのですが、同時に、その解決していく道筋の面白さと主人公である音道貴子刑事の魅力を思い出して、そのまま読み続けました。
 殺人事件の動機は、不純で単純で、そこはあまり評価しませんが、この事件に関わる人々の人生が多彩で、しかも人間を信頼するようにを描かれています。
 『傍聞き(かたえぎき)』長岡弘樹)は、初めて読んだ作家です。佐野洋『推理日記』シリーズを読んで、そこで大絶賛されていたので、読みました。期待通り、これまで読んだミステリーと違うの面白さを持っていました。
 この単行本には4篇の中篇が収められていますが、どれも面白いものです。
 「傍聞き」とは初めて聞く言葉です。これは、他の人同士が話し合っているのを、傍で聞くことです。そして、そうやって行く話は、直接聞かされるよりも「本当のことだ」と信じ込む傾向があり、それを「漏れ聞き効果」というのもそうです。そうこの小説の中で解説されています。
 まさにそれがこのミステリーのキーワードで、まったくうまい使われ方をしています。
 もう一冊『駅路/最後の自画像』松本清張向田邦子)は、とてもお得な本でした。松本清張の短編『駅路』と、それを原作として向田邦子が脚色した『最後の自画像「駅路」より』を一度に読めて、向田邦子のすごさを感じました。
 原作が面白くないということではなく、それに付け加えたもので、向田邦子の人間を見る目のすごさがわかったということです。
 昨年『くにこ』という向田邦子さんの人生を描いた文学座の芝居を見ましたが、いまいちでした。しかし、この脚本を読んでいればもう少し楽しめたかもしれません。そういう意味からいうと、芝居は向田邦子のすごさを、よく知らない人に伝え切れなかったということでしょう。
 物語は、銀行を定年退職した男が、次の日に旅行に出たきり帰ってこない、という事件が解き明かされるのです。男には会社や家庭で見せている顔とは違う面があると描きます。原作は男に焦点が当てられていますが、脚本は女もそうだといいます。原作では死んでいた男の恋人が生きて、男の妻と向き合うという、新しいシークエンスがあります。
 それが向田邦子の人生と重なって見えました。