奇妙な『永遠のゼロ』

8月16日に再度『永遠のゼロ』を見ました。このブロクにも書きましたが、この映画は生理的に嫌いです。映画サークルの機関誌8月号『銀幕吟味』により詳しく、映画に即して批判しました。
この原作は「戦争を批判している」という意見を、マガジン9条の関連ブロクでも読みました(映画はちょっと違う、と言っています)し、いくつかの映画評ブロクでも読みました。
それで、どう見たらそう思うのか、彼らの意見とかみ合った議論をするにはどう批評すればよいのか、それを捜すために再度見よう、そして私の感性をもう一度確認しようと思っていました。
さらにパルシネマでは『永遠のゼロ』とあわせて『WOOD JOB〜神さりなあなあ日常』が上映されることから、これは見たいと思っていたので、好都合とばかり見に行きました。
その結果、実に奇妙な経験をしてしまったのです。
それは、1月に見たのと違う『永遠のゼロ』を見たのです。私は最初に自分の記憶を疑いました。原作を読んだから、映画にはないシーンを自分で作り出していたのかと考えました。しかし、それは違います。はっきりと1月に見たものと違う『永遠のゼロ』がありました。
どこが違うのか。それは山本学が演じる大企業の会長と論争する「左翼的」新聞記者が全て削除されていました。
これは何でしょう。論争のシーンは、まさに「靖国史観」と「東京裁判史観」(ちょっと違うと思うが)をぶつけた原作者のテーマです。
インターネットで捜しても、封切りと違う編集をした映画が出されていると出ていません。私は白日夢を見たのかと思いました。