2022年9月に読んだ本その2

 映画の紹介を先行させようとしてので、本の紹介は休んでいました。映画は時事性が強いですが本はいつでも図書館で読めるからです。

 映画が3月まできたので、本も追いかけます。

 2月に2冊書いていました。それを忘れて上書きしてしてしまいました。

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『えらい人ほどすぐ逃げる/武田砂鉄』『芸人魂/マルセ太郎』『矜持 警察小説傑作選/西上心太編』『世界9月号』『前衛9月号』

 雑誌2冊は気になった論文、コラムだけになります。しかも踏み込んで「書評」などは書けませんので、印象に残ったことを書きます。

『えらい人ほどすぐ逃げる/武田砂鉄』

 雑誌「文學界」に掲載したエッセイ「時事殺し」を集めたものですが、大幅に加筆・改稿しているそうです。選ぶテーマもいいし権力批判がストレートです。何が一番えらいかと言えば、実名を挙げて批判することです。これはすごいと思います。

 


 章の見出し、副題を紹介します。

 ①偉い人が逃げる-忘れてもらうための政治②人間が潰される-やったもん勝ち社会③五輪を止める-優先され続けた祭典④劣化する言葉-「分断」に逃げる前に⑤メディアの無責任-まだ偉いと思っている

 これだけ見てもなかなかのものです。

 しかも章ごとにまとめの文章も書いてあります。丁寧にわかりやすく主張します。

 現代日本の権力、支配的風潮に対し、おかしいことはおかしいと、言うべきことを言うスタンスです。

 武田砂鉄、ちょっと追いかけようと思います。

『芸人魂/マルセ太郎

 マルセ太郎自身が書いた自伝的エッセイです。

 マルセ太郎と言えば「スクリーンのない映画館」ですが、その前史が書かれています。面白い芸人だと思っていましたが、売れた芸はこれだけだったのです。

 50年ほど前に深夜テレビ「11PM」でテレビに出ない芸人として出て、サルの芸をしていたのを覚えています。帽子の芸人の早野凡平コブラの東京コミックショーがいました。

 色川武大永六輔等に認められて、少しずつ売れるようになったようです。でもその売れない時代に巡り合った知人、友達は変人奇人の部類です。でも良い人たちが多くいました。それに比べて、マルセ自身が書いていますが、彼は売れる芸人になりたい意識が強い「卑しい芸人」だった時代があるようです。

 第1章「お客さん」第2章「演芸場の人々」第3章「お姐さんたち」第4章「わが友、わが先輩」第5章「人生の出会い」第6章「家族主義」

 彼の父が朝鮮半島から来た在日2世ということでの苦労もあるでしょうが、懸命に芸人にしがみついたがための、波乱万丈の人生のように思いました。そこでここに書かれてあるように人々に知り合えたのですから、苦労はあってもそれはすばらしき、うらやましい人生です。

 漫才ブーム、トリオブームに乗れなかったのは、芸の才能かもしれません。「スクリーンのない映画館」もパントマイムというよりも、私は、その映画の評論的要素が強いように思いました。

『矜持 警察小説傑作選/西上心太編』

『熾火/今野敏』『遺恨/佐々木譲』『帰り道は遠かった/黒川博行』『死の初速/安東能明』『悩み多き人生/逢坂剛』『水仙大沢在昌

 いずれも手練れを並べたアンソロジーで、面白かったのですが、でもこの作家たちであれば、もう少し面白いものを選べたような気がします。

『熾火/今野敏

 ヒットシリーズの「安積班長」が刑事となった時期の小説です。ひたすら誠実で体当たりな青年であったといいます。

『遺恨/佐々木譲

 「制服捜査」シリーズです。

 北海道警の優秀な刑事が交番勤務にとばされます。彼は捜査はできないけれども、色々と街のうわさなどを聞き取り、推理します。

 広大な北海道の辺鄙な街の暮らしがよくわかります。

『帰り道は遠かった/黒川博行

 大阪府警の二人の刑事が活躍します。河川敷に残された血のりが残ったタクシー、運転手はいないという謎です。

『死の初速/安東能明』

 元物理の先生が刑事になって謎を解く、というのが売りの神村刑事シリーズです。

『悩み多き人生/逢坂剛

 コミカルな警察小説ですが、あまり面白くありません。

水仙大沢在昌

 新宿鮫の珍しい短編です。鮫島警部が中国スパイと接触する話でした。

『世界9月号』

 色々と気になる記事、論文はありますが、うまくまとめることが出来ません。特集の一つと片山さんのコラムを書きます。

特集1『歴史否定論 克服は可能か?」には6つの論文があります。

 歴史否定論、歴史修正主義とは、安倍晋三元総理大臣を思えばいいと思います。愚かで嘘つきな連中です。

 その中で『「日韓歴史問題」と大学生―モヤモヤは進化する/加藤圭木』ついて紹介します。

 著者は一橋大学の先生で、これは彼のゼミの学生が刊行した『「日韓」のモヤモヤと大学生の私』の経緯を踏まえて書かれたものです。そこから気になった文を抜き書きします。

・植民地支配がこれほど重大な問題であるとは考えもしなかったと話す大学生は少なくない。

歴史学の研究成果を踏まえた認識は社会的にほとんど許攸されていない。

・人権や平和の問題をとりあげる者は「偏っている」と白眼視されることが少なくない。

片山善博の『日本を診る』154「新型コロナ分科会提出資料から読み取るべき重要な課題」】

 コロナ感染の大きな要因がエアロゾル(空中に浮遊する粒子)感染だと、政府が認めたということ。それは世界の主流の意見だそうです。そして日本の空調設備は総じて喚起能力が低いという指摘でした。

『前衛9月号』

 こちらにも「いま戦争と植民地支配の歴史を学ぶ」という特集があり、加藤圭木さんが書かれていましたので、それを紹介します。

『日本・韓国における歴史否定論とどう向き合うか/加藤圭木』

 「世界」の方は大人しめに書かれてありましたが、こちらはかなり率直に加藤さんの意見を書いています。

 「日韓関係の『改善』がなされないのは韓国に側が過去の問題を『蒸し返している』からではない。日本側が責任を果たしていないことこそが問題」「朝鮮民主主義人民共和国との間で日本が植民地支配責任を果たしていない」という明確なスタンスで書かれています。さらに「韓国でも歴史否定論が影響を与えている」といいます。

 主に、現在の韓国の歴史否定論を中心に解明しています。冷戦期につくられた日米韓の「65年体制」(日韓基本条約の締結)を、韓国の民主派、進歩派が乗り越えようという動きを、巻き返し抑え込もうとしているものです。

 それは「反日種族主義」であり「植民地近代化論」として展開されています。一方的に日本=悪、韓国=善ではないという主張で、日本側では右派だけでなくリベラルの一部も、それを受け入れています。

 「反日種族主義」は、それに反論する本も読んでいて、それが歴史修正主義であり非科学的であることは知っていました。

 なぜそれが、韓国で支持されるのか、韓国の民主化が「65年体制」打破に通じるという説明を聞いて納得いきました。