「3.11 科学技術は負けない」小宮山宏(三菱総研理事長、前東大総長)

 4月1日付けの朝日新聞のインタビュー記事です。化学システム、地球環境学の専門家と紹介されています。東電の社外監査役です。その点では責任はあまり感じておられないような口ぶりです。言ってきたけれど「元大学の先生の一般論として聞いていた」と原発の危険性に対して「安全神話」を信じてきた一人です。
 その反省の度合いは、例えば室崎先生が感じた研究者としての良心に程遠いな、と思いました。しかし不遜ですが「さすがに、独立した見解を持っている」という印象を持ちました。
 この記事で印象に残った言葉を紹介していきます。
 「非常電源が二つあっても二重の安全策ではなかった」「分野の違う科学技術の人たちと、もっと協力していたら」「強固な『原子力村』を作っている」 
 少しずつずれた専門分野、学際的な協力というのは、どこでも必要です。弁証法唯物論で見ても、すべてつながっている事象に対して個々の人間や専門分野は分断的です。原子力については「秘密主義」であり、それがあまりにもひどすぎたということでしょう。
 「たとえどんなに困難に見えても問題そのものを明確に、具体的につかめれば、我々は答えを出せると考えています。具体的にすればするほど、これまで人間は、科学は、問題を解決してきましたから」
 これはほとんど同意できる、「不可知論」を明確に否定していると思うのですが、「解決」してきたといえるかどうか。そこは社会構造等との関係で、科学は時の権力者に奉仕してきた面もあるように思いますから、真理を隠したり、弱者に犠牲を強いてきたと思います。おそらくそんなこともご存知上で、先生の姿勢を示したものですが、ちょっと引っかかりました。
 「事故は徹底的に解明しないといけません。関係者の刑事責任を問わない、という免責制度を新たに導入してもいい」
 これは勇気ある発言であり、私はこれに全面的に賛成します。いま必要なのは、事実関係をすべて明らかにすることです。原因究明がどこかで止まってしまうことが一番心配です。そしていつも責任を取らされるのが中間管理職であったり現場の責任者で、その上の人には、軽い処分ですむ例が多いです。彼らは、責任回避の仕組みを組織の中に作っています。それを破るのは難しいですが、まずすべてを解明していけば、自ずと真の責任にまでたどりつきます。
 原子力は21世紀の半ばまでをまかなうエネルギー」「自然エネルギーの実用化までの『つなぎ』」「エネルギー効率そのものを向上させる」「今すぐ、国内の原発を止めることは現実的ではありません」「やれることは全部やる」「スピードが必要です」
 これは方向性を見つめて、現実的対応を考えることだと思います。見識ではないでしょうか。
 「社会や経済の側も原発を求めてきたのではないか」という問いに、資本主義とか言って、一般的な答えをしています。資本主義国税ただ同じエネルギー政策ではありません。原発を選択してのは時の政府であり支配層です。その最大の旗振り役は正力松太郎です。その下に大企業は国策として原発を進めています。資本主義一般、社会一般ではありません。
 「この国はゼロからの議論、大人がする議論、具体的な根拠に基づく議論がなさすぎる」 
 この指摘は単に原発問題だけではないです。国民性に帰する問題でもなく、その責任の一端を負うのはマスコミです。今回の事故の招いた一つの原因に触れるものです。
 しかし、この記事はそこに触れていません。「取材を終えて」のところでも「村社会」の批判です。「元大学の先生の一般論」としてスルーしたのでしょうか。私は『キリクと魔女』の寓意を思い出しました。大人たちの責任回避の理屈、無責任さの表れを最後に感じました。