最近の新聞記事から

 職場の新聞が[神戸]と[毎日]になってしまって、かなり不自由ですが、他の職場を回ったりしながら他紙も読んでいます。そして気になった記事を切り抜いています。
 映画に関わるものは映画サークルのファイルに貯めていて、読む人は少ないにしろ、例会場において、それなりに生かしています。それ以外は、適当に読み捨てにしています。
 しかし、切り抜いた記事の幾つかは、いつかブログや何かの原稿に使おうと思ったりして、連載の記事などは残していて、それがダンボール一杯になっています。そのうち整理しなければと思っています。
 今日は、棄てようと思っている最近の記事を紹介してみます。
原スキャンダル
 この事件は、6月21日[毎日]余録に載った標記のものを最初に見ました。週刊文春が「原監督が2006年に過去の女性関係を理由に、元暴力団関係者から一億円を脅し取られていた」という報道をしたことに対し、読売巨人軍が週刊誌が発売(21日)される前に反論と提訴の記者会見(20日)をした、ことを揶揄したものです。
 すぐに[読売]と[朝日]を見るとかなりのスペースを割いて21日に出ていました。[日経]は22日春秋に書きました。
 この一連の報道を読んでいて、いくつかの点でおかしいと思いました。
 まず一億円を脅し取られたということに対して、原監督はそんなに怒っていないということです。彼は「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるものだとも解釈し」といっています。一億円で助けてくれるという感覚は、わかりません。
 そして彼のメッセージは、ファンへの謝罪の後に「清武さんへ」という、渡辺オーナーと喧嘩別れした前球団代表が、それを仕組んだと批判しています。恐ろしいほどの単純短絡さです。
 巨人軍も1億円を払ったということは事実と認めながら、記事は名誉毀損だと訴えるということで、[読売]は暴力団に金を払っていないことと、原監督は被害者だと強調しています。
 一億円でスキャンダルをもみ消すという人は、暴力団ではなくても、その筋の人だと、普通の人は思います。
 それを恐喝として事件に出来ないことを、[読売]は「狂人群と原監督は被害者届けの提出も検討したが、警察当局が事件化は困難との見方を示したため見送った」といいますが、[朝日]は(かなりの紙面を割いてこれを報道している)「捜査関係者は『事件化できなかったのは、原監督側から被害届が出なかったことが大きい』と、まったく逆の報道をしています。
 もちろん恐喝者は暴力団関係者であることを、詳しく報道しています。
 こんな記事はそんなに詳しく、しかも対立する視点から報道しなくとも、怪しい事件だとわかるものです。
 例えば消費税増税に、これぐらいの多角的で対立的な報道が出来ないものでしょうか、と思います。
 それと、事件と関係が有りませんが、余録が正力松太郎の「巨人軍は常に紳士であれ」という遺訓を紹介していますが、正力が警察関係者、A級戦犯、CIAエージェントという経歴の持ち主であることからの皮肉だと思いましたが、それをどの程度の人が気づいたか、と思いました。
生活保護報道、仕掛け人は誰か
 次長課長の河本をネタに、「生活保護バッシング」が異常に大きくなっています。それはほとんどテレビと週刊誌であるように思います。新聞はけっこう冷静に、生活保護の役割と現実の問題点を、専門家たちを登場させて、実証的に報道しています。
 6月20日の[毎日](夕〉はかなり充実していました。矢田神戸市長と阿部彩〈社会保障の専門家〉さん、今野晴貴〈労働問題の専門家〉がそれぞれ意見を述べています。
 矢田市長は「最後のセーフティネット」を強調している。そのために「就労機会の確保」と「給付の適正化」をあげました。
 阿部さんも「貧困問題に本気で取り組まない限り最後のセーフティネットである生活保護の肥大化は免れない」といいます。今野さんも「労働環境が悪化している今、誰もが貧困に陥る危険性がある。その手前で社会が生活を支え」ることが急務といっています。
 三者で共通していることは明確で、「最後のセーフティネット」である生活保護に頼っている、頼らざるを得ない現実に対する批判だと思います。これが今日の事態に対する最も重要な指摘です。
 「河本事件」を面白おかしくいう連中にはそれがまったくありません。現在の労働状況や様々な自立支援方策の貧困がその重大な責任要素であるにもかかわらず、それを意図的にスルーさせようという連中の画策が、そこにあると思います。
 それは誰か。私は新自由主義者だと思います。一切の社会保障政策と労働政策を抜きにする競争原理主義、その結果の貧困はすべて自己責任とするのは彼らだからです。