民意のカタチ

 昨年の神戸新聞、総選挙投票日の前(12月8日〜16日)に標記のコラムが4回連載されました。興味深いタイトルだったのでブログに書こうと思っていましたが、いつしか忘れていました。新聞の切抜きを整理していて、それに気付き、捨てる前にざっと書くことにします。
作家 古川日出男(1966年福島県
 「忘れっぽいという日本人固有のメンタリティ」が民意の特徴。震災からの民意は復興支援から原発問題に変わりました。
「民意のバロメーターは、快か不快かです。そこには過去ではなく現在、そして現在と直結した未来のことしか考えられない」ということから、原発事故直後は「原発は要らない」であったものが、時間がたつと「電力供給の方が大事」となりました。
 民意を作る「僕らは愚かです」が、「100万人集まれば、一人の愚かなではない政治家を育てていけるかも」といいます。
 今の政治情勢はそんな感じではありません。「出たい人より出したい人」といった言葉が死語のようになって、政治や社会のことを真剣に勉強しなくても、思い込みだけでも「風に乗れば」政治家に(なんとかチュルドレンのように)成れるようです。しかし古川さんの言葉は正論だと思いました。
批評家 濱野智史(1980年千葉県)
 民意は「今はツイッターフェイスブックといったソーシャルメディアが重要な存在」で、新しい群集が作られているといいます。
 そして選挙にソーシャルメディアが機能していく、といいます。
教育社会学者 本田由紀(1964年徳島県
 社会意識と民意は違うといいます。「社会意識」は人々に共有されているものを分析的に捉える事で、「民意」は「得票という一元的で粗い指標から透かし見て」「全権を委任されるかのような言葉として使われがち」で、投票結果は混沌としているものを「べったりと塗りつぶされたものに」みせてしまいます。
 「ほんのちょっとの得票差で『自分が民意を代表している』と威張る政治家」とバカをちくりと批判します。
 「戦後日本型循環モデル」は1990年代以降に崩壊したので「今必要なのは、古い仕組みにしがみつくか、それをぶち壊して『自由化』するのかの二項対立ではなく、社会全体の新しい仕組みを作り直すこと」であって、今の選挙では出来ないといいます。
 「新たな社会の仕組みを作るには、対立する利害の一方だけを守るのではなく、『悪いけどお互いこの辺で我慢して』『長期的にはこうするしかないね』というモゾモゾしたやりとりが必要」ということはわかります。そのやりとりには論理的なことより、力関係、端的には選挙結果という「民意」が強く反映するのではないかと思います。
 政治は妥協の産物ですが、その妥協は民意を反映するとしたら、社会意識を民意=選挙結果に反映させる選挙制度、という結論に何故行かないのでしょう。
社会経済学者 佐伯啓思(1949年奈良県
 「最近の民意ブーム」を「ひたすらエゴを押し通そうとする人々が渦巻いている」「政治改革の流れが、小泉政権劇場型政治で加速し、民主党政権で行き詰まった」と見ています。
 「価値観が錯綜する現代は、まとまった民意などありえません」「官僚や教師らを標的にする行為が、民意という名の下で横行しています」「わかりやすい敵を設定し、集中攻撃する「改革主義」が十数年続き、強力なリーダーが待望されています」と、この人も橋下が嫌いなのだと思う。
 「多数決は民主主義社会で意思決定するための暫定ルール。多数派が常に正しいわけではない」に拍手。
 「間接民主主義や代議制、議院内閣制などの『非民主的』要素を含むのは」独裁を防ぐ歯止め、といいます。
 私もストレイトの民意の反映は本来の民主主義、熟議民主主義を壊すと思います。