「三方一両得」の使い方はおかしい

 「三方一両得」時々この言葉に出会います。新聞にも出てきます。
 これは落語や講談に出てくる大岡越前の逸話である「三方一両損」をもじっているのでしょうが、文脈からみて「3人の関係者全員が得をする」という使われて方のようです。
 はたしてそれは元々の「三方一両損」を踏まえた使い方でしょうか。私はどうも違うように思います。元々の話はインターネットでたくさん紹介されていますから、詳しくはそれを見てもらうとしても、私が考えるこの話の要のところを紹介します。
 それは「3両を落とした人と、それを拾った人、両方がお金を自分はいらないといってもめているのを、奉行の大岡越前が、自分の懐から1両と出して、4両にして両人に2両ずつ分け与えた」という話です。3両を落とした人は2両返ってきたから1両損。3両拾った人は2両しか残らないから1両損。大岡は1両出して1両損、ということです。
 落語では、この後、みんながご機嫌になって、大岡が料理を振舞うのですが、たくさん食べるのを心配するのに対して、多くは(大岡)くわねえ、たった一膳(越前)という駄洒落で終わります。
 しかし私は落語で「三方一両損」の後日談として「三方一両得」の話を聞いています。それを確かめたくてインターネットで検索しても、そんな話があるとは出てきません。
 演者は誰であったかは思い出せないのが残念ですが、ともかくそれを書いておきます。
 「三方一両損」の話が広まって、それをまねるものが出たという話です。3両を落とすと奉行が1両加えて4両になって返ってくるのですから、大儲けです。
 しかし大岡越前は「三方一両損は間違いであった、三方一両得にしようと言って、今度は奉行が一両とって、残った二両を両方に1両ずつ分け与えます。
「3両落としたものは丸々損をするところ1両返ってきたから1両の得、拾ったものも全額返すのではなく1両貰って1両の得。奉行も一両貰って、これで三方一両得で、めでたしめでたし」とするものです。
 どうでしょう。このほうが「筋の良い」話だと思いませんか。損とか得という表面的なことではなく、支配する側の論理が貫かれている、と私は思います。
視点を変えて
 「損をする」「得をする」と聞かされると多くの人は「得をする」方を選びがちですが、本当の意味を考えないといけません。
 「三方一両損」はあきらにお上が庶民に1両を下されるもので「双方の正直をほめてとらす」という性格です。しかし「三方一両得」は、言葉とは逆に懲罰的な意味があります。「得」と言いながら庶民のお金をお上が取り上げているのです。誰の視点であるのか、それによって言葉の意味が違ってきます。
 でもこの話のほうが庶民のしたたかさを表すもので、ほほえましい話ではなく世間の毒を笑いにしています。落語的です。
 新聞などは、こういった秘められた本質的なことを考えているのか、時々疑問に思う使い方をしています。
 特に消費税などを「公平」な税、とか「誰もが納める税金」という言い方は、とてもおかしいと思います。民主的課税の原則である生活費非課税や能力に応じた応能負担に反しているから、金持ち優遇で庶民に痛みを与える税金だということをいうべきでしょう。