正月号に書いたこと『こんな時代を生きていく』

職場の労働組合の機関誌に書きました。今年もちょっと書きすぎです。
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異常気象と大地動乱の時代
正月の天気はいつも穏やかであったような記憶があります。異常気象の現在では、どうなるのでしょうか。
日本列島の素晴らしさの一つは、四季、春夏秋冬がかなりはっきりとあることです。その自然環境を生み出した大きな要因は、黒潮親潮がぶつかる太平洋の恵みではないかと思います。
それは地球上でも特別な場所であり、私たちの生活はその恵みの上に作られました。稲作文化がつくられ、そして地域社会の行事や日々の生活、一年の過ごし方、伝統的な文化自体が四季を前提として成り立ち、人生観にも結びついています。
陰陽五行説から発展した、青春、朱夏、白秋、玄冬という四季のイメージは、その色と季節、人生がうまく結びついています。人生の約3/4近くを生きてきた私の年齢になると、それを実感します。
その味わい深い四季と裏表で自然災害も多くあります。近年その大きさと頻度が増大してきたように思います。桁外れの集中豪雨がピンポイントで頻発し、季節はずれの巨大台風が大きな被害をもたらします。昨年は日本だけではなくフィリピンにも大きな被害がありました。
自然災害は異常気象だけではありません。阪神淡路大震災の少し前から、地震の巣である日本列島を、震度6を越える巨大地震が繰り返し襲っています。昨年は海中から新島も生まれました。
地球全体をみても、20世紀末から大地震、大津波、竜巻、ハリケーン、大洪水、大干ばつ等巨大な自然災害が、世界各地で起こっています。まさに地球規模の異常気象と大地動乱の時代に入ったように感じます。
戦うのか助け合うのか、問う時代
人類は戦争などやっている暇はないのです。確実に襲ってくる巨大な自然災害に対して、無人戦闘機やミサイル、地雷は必要ありません。核兵器原子力発電は役に立たないだけではなく、存在するだけで危険です。
救援・医療部隊と非常食、瓦礫を撤去するブルドーザを携えて、世界各地の被災地へ飛んで行く国際的な組織が必要です。
それは昔、テレビで見た英国の人形劇『サンダーバード』(メールソフトではありません)のイメージです。
阪神淡路大震災の経験から、自然災害は誰の身の上にも平等に襲ってきますが、その被害は社会的弱者により大きく圧し掛かり、そこに集中します。例えば、世界の飢餓人口は8億7千万人といわれていますが、異常気象がもたらす農産物のわずかな不作は、彼らに特段の大きな影響を与えます。
日本は核抑止力や集団的自衛権など、戦うための準備をするよりも、憲法9条と災害救援部隊を持っていればいいと思います。戦うことよりも助け合うための発想が、今、緊急的な課題だと思うのです。
北朝鮮や中国の脅威よりも、東海、東南海、南海地震の方が、確実で緊急的な危機です。年間5兆円の防衛費も戦闘機やミサイルを買うよりも使い道を変えるべきです。
人類文明を転換させる時代
地球が誕生してから46億年の歴史を見れば、もしかしたら「異常気象と大地動乱」は、ありふれた循環的なものかもしれません。
しかし地球にとっては、人類の存在自体がこれまでにない異変です。
生物としての人類の誕生はごく最近の出来事であり、文明もわずかな時間でしかありません。近現代の飛躍的発展といえば瞬きする間です。それなのに人類は貪欲で旺盛な繁殖力で人口を急増させました。産業革命以降、地球が長期間掛けて溜め込んだ化石燃料を極めて短時間で燃やし、地球温暖化を招いています。
46億年目の異変に対し、もし地球に顔があれば、さぞかししかめっ面でしょう。
2011年3月11日東日本大震災福島原発事故は、この近現代の文明史を見直すことを求めています。大地震と大津波は天災ですが、原発事故は、スリーマイルとチェルノブイリ事故を経験した後でも「原発は安全である」と言う神話を、日本だけではなく世界の文明国が通用させてきた結果の、いわば「文明災」です。
哲学者の梅原猛さんは、この事故を起点としてこれまでの文明を見直し「人類はどう生きるべきか」に答える人類哲学を提唱しています。
現代社会を主導し支配してきた西洋文明、人間中心の科学技術力による「自然を支配する文明」を生み出してきた、デカルトを中心とする西洋哲学の誤りと限界を確信して「自然と共存する文明」の思想を模索されています。
それはエジプト文明を始めとする世界各地の古代の遺跡で確認され、日本では縄文文化の生活と思想を受け継ぐ「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」です。動植物だけではなく山や川も生きていると言う考え方です。
その思想の是非はともかくとして、梅原さんが言うように現代は「文明の岐路」に立っていると思います。
個人の尊厳を大事にしたい時代
このようなマクロの変化だけではなく、生理的生活時間の単位においても変化を感じます。
現代日本の経験のない急ピッチの超高齢社会、人口減少、天文学的な借金の財政危機、大企業が支配するグローバル経済が、社会構造を変え、働き方を変え、私たちの生活に大きな影響を及ぼしています。
例えば「年功序列型賃金、終身雇用」という働き方の否定が、不安定雇用を増やし年収2百万円以下の低賃金労働者を多数生み出しています。
そのような社会の根本的な変化は、サブカルチャーといわれるものの流行にも現れます。その一つが広告であり、流行語です。
阪神淡路大震災東日本大震災、これのテレビCMから時代の変化を感じます。
阪神淡路大震災
湧き出ている井戸水のそばにある「水、自由に使ってください。そのままは飲めません」という張り紙の映像に、「水、出てるよ。水、持ってって!そやけど、生で飲まんといてな。ポンポンこわすよってに。水、出てるよ。水、持ってって・・・」というナレーションが被さりました。
人のやさしさとぬくもりがあり、そこから湧き出す希望を感じました。
東日本大震災
SMAPのメンバーが一人ひとり「みんなが付いています」「互いに譲り合い助け合いながら」「強く強く未来を信じて」「今ひとつになる時」、そして勢ぞろいして「日本の力を信じてる」という。
これには、励ましよりも押し付けがましさを感じます。
私の感覚の問題かもしれませんが、阪神淡路のそれは、一人ひとりに呼びかけています。東日本では、一人ひとりの悲しみや怒りに寄り添うよりも、全体の枠組みを強調しています。
一人ひとりを大切にする、言葉を代えて言えば個人の尊厳、価値観や生き方も尊重です。2つの大震災の間16年間に、それを軽く見るような変化を感じます。
個人の尊厳を無視する、その際たるものが大阪市長の「思想調査」です。あるいは自民党憲法改正草案は13条「個人として尊重される」をわざわざ「人として」に変えています。
時代に流されないために
昨年の流行語大賞の、その一つは「倍返し」でした。テレビドラマ『半沢直樹』の決め台詞です。企業内部の「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」の論理、大手銀行の身勝手な強欲振りと不正義をひっくり返すことに、カタルシスを感じます。主人公半沢直樹が、不当な圧力に抗して断固闘うことで、大きな支持を得ました。
もう一つ、現代社会の病巣をえぐる言葉は「ブラック企業」です。
これは暴力団関係の企業ではなく、居酒屋ワタミユニクロが代表的で、膨大な利益をあげるために若者を使い潰す企業、有為の青年の生血を吸う企業のことです。
そこの経営者トップが発する言葉こそ「ブラック企業」の本質を表しています。
「365日、24時間、死ぬまで働け」(ワタミ)「年収百万円でも仕方がない」「残業はするな、ただし生産は上げろ」(ユニクロ)と言って資産3兆円を築いています。
彼らは個人の尊厳や人格を無視し、黙って働くことだけを求めます。
「倍返し」も「ブラック企業」も現代日本の「利潤第1主義」の象徴であり、打ち破るべき相手です。彼らに対し、逃避ではなく、人々の連帯と共同によって闘いを挑まなければなりません。
半沢直樹の逆転劇には多くの人の協力があります。不正義を許さない同期の友情があり、踏みつけにされた人々が半沢直樹と一緒に闘っています。
ブラック企業」に対しては、個人加盟の労働組合が対抗する力を発揮しています。
この時代、自立した個人の尊厳を大切にするには闘うしかありません。しかし相手は巨大で、それを相手に闘うには一人では無理です。だから個人は一人であってはなりません。
日本国憲法を生かし、連帯して闘えば勝てます。なぜなら彼らは1%であり私たちは99%だからです。