標記の芝居の会報を担当しています。数人で台本を読んで紹介記事を書くのですが、なかなか面白いです。在日朝鮮人が主人公で、彼らのことをよく知らないので、色々と本を読み、集まって意見交換しながら、手探りで書きました。
芝居に関心のある人は神戸演劇鑑賞会に連絡してください。
神戸演鑑 | 劇はギリシャの昔から ただ一つのことをうったえつづけています それは人間を愛することの美しさです 生きる喜びです 働くことの素晴らしさです (coocan.jp)
ここには私の感想を書いておきます。ちょっと長いです。
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27人は出てきません
『五十四の瞳』というタイトルは名作『二十四の瞳』をもじったものだというのは知っていました。それで多少はそれに近いことかなと考えましたが、中身は全然違いました。
『二十四の瞳』はアジア太平洋戦争の戦前戦中戦後で、小豆島の小学生と女先生の心の交流です。
『五十四の瞳』の時代は戦後でした。姫路の沖合にある家島諸島の一つ、西島にあった朝鮮初級学校の職員室から、そこに暮らす人々の戦後史を描きました。しかも「五十四の瞳」という27人の小学生たちは出てきません。そこの卒業生たち、先生など在日朝鮮人たちに焦点があてられた芝居でした。
舞台が小豆島に近い家島諸島の西島であり、その島の18年の変化を描いたという点だけが共通することです。
戦後史は学校ではほとんど習っていません。ましてやこの芝居の中心になる在日朝鮮人については戦前戦中戦後の彼らの生活実態などは全く知らない、といっていい状態です。
関東大震災の時に、多くの朝鮮人たちが「自警団」という一般の日本人に殺されたことは知っています。
大日本帝国の支配の下で、植民地であった朝鮮半島の朝鮮人たちも、日本に自発的に、あるいは強制的に連れてこられた来た朝鮮人たちも大変だったと想像します。
1948年~68年は、日本が戦後から高度経済成長に向けて動き始めて時期でした。気になる出来事を年表で拾ってみました。それを見ながら芝居についていろいろと考えてみます。
憲法の下で
48年はGHQの支配の下ではありますが、日本国憲法等が施行されて「戦後民主主義」は始まっていました。国民主権、平和主義、基本的人権、地方自治という理想が掲げられました。
日本人は「臣民」から「国民」という主権者となりました。在日朝鮮人たちは元「臣民」であり「外国人」という取り扱いです。
家島群島の小さな西島には、憲法の光が届いていません。義務教育の小中学校はなく、解放された在日朝鮮人たちが子どもに、朝鮮語の読み書き、民族教育を受けさせたい、と言って始めた朝鮮初級学校がありました。そこでは日本人も学んでいました。
それを強制的に閉鎖する通達が出されます。
朝鮮学校に女先生がやってきました。そして朝鮮学校を卒業した4人の中学生(一人は日本人)も職員室にいました。芝居は、そこから始まりました。
冷戦が厳しさをます世界情勢の中で、GHQは日本の「解放、民主化」から反動的な政策に転換していきます。その一つが朝鮮学校閉鎖です。
朝鮮学校閉鎖の指示を出し、政府はそれを通達しました。しかし戦後の憲法は、朝鮮学校の許認可は都道府県の権限としていました。だから朝鮮人達が中心となって起こした阪神教育闘争は、閉鎖撤回を県知事に求めたのです。
GHQの非常事態宣言があり、警察権力の弾圧もありました。発砲もあったといいますが、戦前の朝鮮人弾圧を想起させます。
しかし地方自治があることで「学校閉鎖令」は地方ごとにばらばらの対応になりました。
この芝居の最後にもあるように、日韓基本条約が結ばれた65年に文部省は再び閉鎖の通達を出します。国は民族教育を否定しますが、68年に美濃部東京都知事は朝鮮大学校を認可しました。
民族教育を否定する考え方のおおもとには、愚かな首相が言った「日本は単一民族」という事実を見ない誤った見方が根強くあります。戦後でもアイヌや琉球と言った明らかに違う文化や歴史を持った人々や、植民地支配が生んだ在日朝鮮人を「同化政策」という名のもとで蔑視し排除しています。
いまでもLGBT法や「改正」入管法などの国会審議を見ると、日本の多数派は多文化共生という考え方ではないと思いました。
新しい社会へ
芝居では良平、萬石、昌洙、君子の幼馴染に気持ちの通じ合いを感じます。それぞれがお互いを認め合いながら、自分の人生を考え、悩み、夢を持ち幸せを掴もうと奮闘しています。
それは親の世代とは違う社会を意識しています。
その中で、萬石が朝鮮戦争に志願兵になっていくのは痛ましい姿です。
日本が朝鮮を植民地としたことで、連合軍は朝鮮を独立国と認めず、日本の領土として分割統治したのです。それが二つの国となった原因で、そして同じ民族が殺し合う戦争にまでいきました。
朝鮮人の死者は日本のアジア太平洋戦争の死者を超える約350万人と言われています。
その一方で日本は「戦争特需」で経済復興を歩み始めました。
56年に政府は「もはや戦後ではない」と言います。しかし教育の問題だけでなく、61年になっても西島には電気も水道、電話も通っていないようです。憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」からも見捨てられています。
他の登場人物も時の流れとともに変わっていきます。その中で、わからないことがあります。
日本人である良平の母は、自分は石屋の親方、元洙と良い仲になっていくのに、良平と朝鮮学校の教師、春花の結婚を最後まで認めません。それは年齢差の問題や単なる朝鮮人差別ではない、深い理由があるように感じました。
春花自身も良平の求婚を避けようとします。
彼女が西島に来た時に「生まれ変われんのやろか」といいます。彼女の重い人生が隠れているような感じです。
そういう一人一人の人生を描きながら、この芝居は、西島に居ながら戦後の変化を見事にとらえました。
年 表
45年:日本の敗戦。朝鮮人から見たら解放
47年:2.1ゼネスト中止
朝鮮人学校閉鎖反対デモ、神戸に非常事態宣言
大韓民国(李承晩)朝鮮民主主義人民共和国(金日成)設立
49年:ドッジライン、下山事件、三鷹事件、松川事件、レッド・パージ
50年:朝鮮戦争始まる、総評結成、神戸映サ設立
51年:サンフランシスコ講和条約、日米安保条約
52年:GHQの占領終わる
53年:NHKテレビ放映、朝鮮戦争休戦
54年:第五福竜丸被爆、自衛隊発足、映画『二十四の瞳』封切り、神戸労演設立
55年:第1回原水爆禁止世界大会、自民党結成、社会党統一、神武景気
56年:「もはや戦後ではない」日本が国連加盟、帰還事業、水俣病
57年:売春防止法施行
58年:
59年:北朝鮮と帰還協定
60年:三井三池闘争、安保反対闘争
61年:朴正煕等が軍事クーデター
62年:キューバ危機
63年:
65年:日韓基本条約
66年:文化大革命
67年:美濃部さん東京都知事に、
68年:大学紛争