『騙る/黒川博行』『江戸しぐさの正体/原田実』『地を這う捜査』『「人新世」と唯物史観/友寄英隆』『話芸の達人/戸田学』『世界12月号』『前衛12月号』
五冊と雑誌2冊でした。どれも面白い本ですから、ちょっと長い話になっています。
『騙る/黒川博行』
『マケット』『上代裂(じょうだいきれ)』『ヒタチヤ ロイヤル』『乾隆御墨(けんりゅうぎょぼく)』『栖芳写し(さいほううつし)』『鶯文六花形盒子(うぐいすもんろっかがたごんす)』という6編の短編集です。どれも美術品を扱った詐欺の話でした。著者が芸術大学を出て、高校の美術教師という経歴を生かしたもので、なかなか面白かったです。
『マケット』
マケットとは縮小模型。彫刻をつくる時につくる。
『上代裂(じょうだいきれ)』
飛鳥、奈良時代までの古い布
『ヒタチヤ ロイヤル』
ビンテージアロハ、偽物を作る手口
『乾隆御墨(けんりゅうぎょぼく)』
中国、清朝時代の硯
『栖芳写し(さいほううつし)』
名人の書画を、名人が模写したもの
『鶯文六花形盒子(うぐいすもんろっかがたごんす)』
殷の時代の青銅器
『江戸しぐさの正体/原田実』
「江戸しぐさ」と言われるものは、江戸時代の江戸っ子の慣習であるように装っていますが偽物です。それは知っていましたが、それがどうして、どのような理由で生まれ、そして教科書にまで取り上げられるようになったのか、その経緯について詳細な解説が書いてありました。
副題が「教育をむしばむ偽りの伝統」です。たわいのない「道徳」ですが、ここに書かれてあるように、ちょっと考えれば、それが江戸時代につくられたと思うのはおかしいと思いました。
人は自分の聞きたいことには騙されるのです。
「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」「仁王しぐさ」「尊異論」「三脱の教え」「七三の道」などが、江戸時代の風習に合わないということが解説されています。
1980年代に芝三光が生み出し越川禮子、桐山勝等によって広められたようです。
『地を這う捜査』
『密室の戦犯/安東能明』『また会おう/河合莞爾』『交通鑑識官/佐藤青南』『山の中の犬/日明恩』『洞の奥/葉真中顕』『卑怯者の流儀/深町秋生』の7本、警察小説アンソロジーです。
どれも独特の味がありました。ここでよかったと思う著者の単行本を読みます。深町秋生が面白そうです。
『密室の戦犯/安東能明』
神村先生シリーズです。安易で明確な証拠が提示されますが、犯人の動機が、さもありなんと思いました。安東さんは何冊か読んでいます。まあまあです。
『また会おう/河合莞爾』
刑事の頭の中の会話だと、すぐにわかりますが、読みやすいミステリーでした。
『交通鑑識官/佐藤青南』
交通事故の現場検証から、犯罪を立証します。言葉だけで現場の状況を再現するのは難しいです。簡単な図があったほうがいいです。
『山の中の犬/日明恩』
不法投棄を追う生活安全部生活経済環境中隊のミステリーです。謎解きの要素は薄いです。
『洞の奥/葉真中顕』
ひねった悪徳警官の小説でした。親の遺伝子は子に継がれるというのは、ちょっと引っかかりました。
『卑怯者の流儀/深町秋生』
こちらは典型的な悪徳警官ものです。彼に対するのは純情派のヤクザでした。いい感じです。
『「人新世」と唯物史観/友寄英隆』
友寄さんが「マルクスとエンゲルスの歴史観に基づいて21世紀的な課題についての創造的解明をめざした」著作です。個別に書かれた4つの論文と二つの研究会報告をまとめています。
まず斎藤幸平『「人新世」と資本論』は『資本論』や唯物史観に対し「従来の解釈に対する根本的疑義、異論」の象徴と批判しています。
以下に章立てを書きましたが、この本に対しては第1章で少し触れるだけで、踏み込んだ論評はしていません。
第1章「人新世」と唯物史観、第2章コロナ・パンデミックと唯物史観、第3章コロナ禍と日本資本主義の課題―コロナ禍による経済危機の性格として、第4章21世紀資本主義の研究のために―科学的社会主義の理論的課題、補論1自然災害と「再生産の攪乱」―マルクスは、自然災害をどう研究したか、補論2「資本論体系」と三大経済範疇―特に「土地所有」範疇の意義について
第1章では地質学的用語である「人新世」について、地質学会などの議論、環境、生物等の各分野での現状の解明を行っています。そしてマルクス、エンゲルスの地質学の関心の高さ、地質学者との交流を書きました。
現在を「人新世」と言うことの矛盾(人類が絶滅すれば「人新世」の区分は無意味。人類が地球環境の悪影響を克服、回復することが出来れば、地質学的な区分をする必要がない。人類史と自然史の時間軸の違い(差異と統一))を指摘して、唯物史観がいう人類史の前史、本史の区分から「生産力の発展をストップ」は間違いと言います。
人類史の前史として、資本主義の「搾取」は、階級的対立=人間労働の搾取、土地=自然に対しても「物質代射の攪乱」を作り出します。
「資本の生産力」の発展の危険性が「本史までを貫くと考えてはならない」
3つの危険性
1.巨大化した機械盛大工業ひよって自然・ちきゅを無秩序・無計画に改造
巨大コンビナート、巨大開発、大量消費、大気汚染
2.物質と情報を際限なく分割して自然の原理を無秩序・無計画に改造する
核エネルギー、化学肥料、デジタル技術の乱用
3.生命の原理を無秩序・無計画に倫理なく捜査・改造する
遺伝子操作、AIの軍事利用
「生産力至上主義」の唯物史観は、4重の意味で間違い
1.生産力という概念「資本の生産力」「労働の生産力」
2.「生産力」と「経済成長」の混同
3.人類史のとらえ方、前史と本史
4.「未来社会」の生産力、「資本の生産力」水準よりも高度な「労働の生産力」の進化・発展を閉ざす
「変革する立場」からとらえる。
社会変革の主体を形成すること。「社会変革を進める過程で、次第に変革主体も形成・発展する」=人新世観と脱成長=資本主義の変革=社会主義へ
『話芸の達人/戸田学』
西条凡児、浜村淳、上岡龍太郎の話芸を紹介した本です。とても面白く読みました。
発行は2018年ですから西条凡児も上岡龍太郎も引退してかなり時間が経っています。浜村淳はまだ現役です。
確かにいずれも個性的な一人語りです。私は、浜村淳はあまり好きではありません。彼の映画の評価が「違う」と思う時が多いからです。でも喋りは評価していますし、今も現役を貼っているのはえらいと思います。
西条凡児は1914年生まれで1993年死去です。79年に第1線を退いたと書いていますから、見ていたのは子どもの頃です。
時期的には『素人名人会』『おやじバンザイ』『凡児の娘をよろしく』ですが、柔らかい物言いの中に、ずばりという感じです。
かなりの反権力であったようです。博識で傲慢な面もあり、仲間内でも喧嘩したようですし、スポンサーからも嫌われたと書いてあります。
近所の建築工事の業者を脅した件で番組を降板していますが、不起訴になっています。マスコミが「恐喝」と騒いだものではないようです。
「またみてもらいます」は覚えています。全盛期の毒舌を聞きたいものです。
上岡龍太郎は1942年生まれで2000年に芸能界を引退しています。1960年に初舞台で、芸歴40年ですが、まだ58歳です。「なぜ」と思いました。この本では、関西では彼の芸を理解し評価するものがいなかったから「絶望」して、というのと、妻から辞めるのは「今」と言われた、というのがありました。
彼の話芸の一つの頂点は横山ノックの弔辞である、といいます。この本に載っていますが、確かによくできていました。
代表的なラジオ大阪『歌って笑ってドンドコドン』は聞いたことがないのです。彼のはがき読みを藤山寛美は「芸」と言ったそうです。聞きたかったですね。
テレビでは『ノックは無用』で、こちらはよく見ていました。
他には漫談があり上岡流講談もあったそうです。そういえば『探偵ナイトスクープ』『鶴瓶・上岡パペポTV』もありました。
彼が「評価されていない」ことの表れで、アマゾンで検索すると、本はあっても彼のCDは出てきませんでした。「私が、上岡龍太郎です」が聞きたいですね。
浜村淳は1935年生まれ京都育ちで、今年で88歳ですが、まだMBSラジオ『ありがとう浜村淳です』をやっています。これはすごいの一言です。
「さて、みなさん」から始まる彼のじゃべりは柔らかくて人気があるのはわかります。そして「浜村話法」の例として「斜めになった地面―これを難しい言葉で斜面といいます」があります。馬鹿ていねいで持って回った言い方です。
ジャズ喫茶の司会から始まり、渡辺プロに所属して東京で仕事し、そして関西に再び帰って来ました。朝、深夜のラジオ番組をたくさん持っています。テレビにも出ています。
でも私はほとんど聞いていません。
映画の紹介、紹介は「テーマを本質さえ外さなければ、後は自由奔放にしゃべってええ」という意見には賛成です。しかし評価が違うのです。さらに前の二人に比べて、少し権力よりの感じと思っています。
『世界12月号』
特集1「カルト・宗教・政治」
特集2「分断された国際秩序」
『前衛12月号』
特集「原発の新増設への方針転換は許されない」