マスコミの動向

5月6月は忙しくてブログの書き込む回数が減りました。集団的自衛権や労働時間規制緩和など、現実に進む事態にひとこと言うべき、と思いながら今日まで何も書けませんでした。
何が忙しかったかと言えば、3つ原稿を書いていたからです。
演劇鑑賞会『イノセント・ピープル』、映画サークル『独裁者』、映画批評『杉山平一』です。
ちょっと能力の限界を感じました。それは老化ともいえます。人間ドックで胆のうに石があるのが見つかりましたし、脳のMRIでは「年相応の老化」とも言われました。
心身にともに40代50代前半のようにはいかないな、と思います。
何にそれを感じるかと言えば集中力の持続です。ちょっと行き詰ると別のことをしたくないます。
それといろいろなことを並行的、同時進行で考えることにも、ちょっと衰えをかんじます。
しかし私よりもはるかに年上の人たちが立派な仕事をされていますから、多少の衰えを感じても、まだまだやらねばならないし、やってみたいこともたくさんあります。
山田孝男はおかしい
前に[毎日]の風知草を書いている山田孝男氏を評価しましたが、6月2日の「オトナになりたい」というコラムはおかしいと思います。集団的自衛権の議論を取り上げていますが、かなり安倍政権を贔屓にしています。
山田氏が集団的自衛権を認めたいのであればそう書けばいいのですが、問題点はそこではないと思います。
集団的自衛権を認めるか認めないかと言う議論の前に、小林節慶応大学名誉教授(集団的自衛権憲法を変えて持つべきと言う考え方)のように、解釈改憲ではだめ、それは立憲主義に反する、と言うことを明確にするべきでしょう。
国の根幹に関わる問題を「限定的」と言うごまかしをしながら、なし崩しにでたらめな事例を出し、十分な議論もさせず、それも国民が知るのを恐れるかのような異常なスピードで、それは民主主義ではありません。その安倍政権に抵抗しているのが公明党でしょう。
それを安倍と一緒になって、土俵に引っ張りあげようと言う論を展開するのは、見識が問われます。
問題のすり替えだけではなく、独裁的な権力に擦り寄っているように見えます。
立憲主義を守るべき
「オトナになりたい」という見出しは、「限定容認論は子どもに使い道のわからぬ小遣いを与えるようなものだ」と言う、解釈改憲批判に対して、「この例えは、私には飲み込めない。日本は未来永劫、子供であり続けると言う無言の前提を、私は共有できない」と反論し、締めくくりのところで、安全保障問題について「政府と国民がコモンセンスを共有する」ことが必要で、そうでなけらば「永遠に子どもでいるしかないだろう」と言うことからつけられています。
解釈改憲で、このような重要なことを変えようという政権に批判できないジャーナリズムこそ、大人になって欲しいと思います。
集団的自衛権の議論が現在の最重要課題ではなく、ましてや国民の審判を仰ぐことなく、一時の政権で変える事に対して、大きな批判をすることが必要です。