2020年8月に読み終えた本

『夜明けまで眠らない/大沢在昌』『大島薫先生が教えるセックスよりも気持ちいいこと/大島薫』『もてたいと思っている男ってなんであんなに気持ち悪いんだろう』『自白 刑事土門功太郎/乃南アサ』『新・日米安保論/伊勢崎賢、柳澤協二、加藤朗』『ドラガイ/田崎健太』『5つの戦争から読みとく日本近現代史――日本人として知っておきたい100年の歩み/山崎雅之』7冊を紹介します。

『夜明けまで眠らない/大沢在昌

f:id:denden_560316:20200830222920j:plain

 さすが大沢在昌と言いたくなるハードボイルド小説でした。単純な構成ですが、それで十分楽しませてくれました。

自衛隊フランス軍外人部隊民間軍事会社という経歴は本物の戦場を生き抜いてきた兵士、その男が主人公。

アフリカの新興国、政府側で雇われていたが、反政府勢力の一つ、ヌワンという首狩り族と戦う恐怖の経験から、暗いうちは眠ることができなくなった男。気力も体力も奪われて日本に帰ってきた。今はひっそりとタクシー運転手で「夜に眠れない」ことを生かして深夜営業を専門にしている。

 そこへ同じ軍事会社にいたと思われる男と遭遇して、事件に巻き込まれる。最初は暴力団が出てきたが、恐るべきヌワンが日本にいた。内戦は終わって、ヌワンも政府の一員、外交官となっていた。

 麻薬の密輸とか、小道具を使うけれども、元傭兵とヌワンの対決で最後は終わる、というありきたりのパターンです。そこはさすがに迫力満点で、一気に読めました。大沢作品には珍しく濡れ場らしきものもあり、楽しめる小説でした。

『自白 刑事土門功太郎/乃南アサ

 警視庁捜査1課の係長、土門功太郎が事件を解決していく中編4本。2010年発行の本ですが、主人公の土門功太郎はたたき上げで、彼の人物設定および事件の関係者などの人間が古めかしい、事件の動機などもあまり現代的とは思わなかった。

 「アメリカ淵」は東京都の田舎の渓谷で殺されていた女、そして関係者を調べると長年の不倫の男、精算がこじれて。「渋うちわ」はそう形容したい女(還暦あたり)が亭主を、見ず知らずの男を金で雇って殺す話。女は平気でうそを言う。「また逢う日まで」はコソ泥稼業で生きている夫婦。これも妻が主導権を握り、夫はお寺の息子で、引きずられるように生きている。転々と住まいを変えてなかなか尻尾を掴ませなかったが、子どもができてとうとう年貢の納め時。「どんぶり捜査」はアジア人が、仕事を首になり生活に困ってタクシー運転手を殺す。言葉も満足にできない男で、あまり後味がよくない。

『新・日米安保論/伊勢崎賢、柳澤協二、加藤朗』

 全編3人の鼎談。彼らは「自衛隊を活用する会」の中心メンバーで、護憲のスタンスですが単純に「9条の堅持」ではありません。

f:id:denden_560316:20200830222946j:plain

 日米安保条約はどういう軍事同盟か、そして締結された政界情勢が東西冷戦構造であった時代からソ連、東欧の軍事ブロックが自壊し、米国1超大国テロリズムの時代に変化したことで、どのように変わってきたか、ということがよくわかります。

 現在の国際情勢では日米安保の本質である「片務性」の矛盾が大きくなっています。「平和の代償」である地位協定は、突き詰めると互恵性で対等になることを求められので、その改定に踏み込むことで、国民の前に、これまでの矛盾が明らかになってくるのでしょう。

 現状では、そこにある不平等の問題はすべて沖縄に押し付けられ、国民の目にから隠されています。

 元防衛官僚で小泉内閣の時期から内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を5年間務めた柳澤さんが、どのように自衛隊を考えているかがわかります。

「戦場でスナイパーをやれば社会復帰に10年かかる」「安全保障は憲法論議からは出てこない」「紛争地でのPRT(地方復興チーム)はすべて失敗している」自衛隊は「戦略的従属、戦術的対等」など考えさせる言葉がありました。

5つの戦争から読みとく日本近現代史――日本人として知っておきたい100年の歩み/山崎雅之』

 昨年読んだ加藤陽子さんの本「それでも、日本人は戦争を選んだ」等を検証しようと、この本を読みました。明治維新以後の日清戦争日露戦争、第1次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争を5つの戦争として、近現代史の概説を書いています。

 加藤さんの本は、1次資料である政府の公文書等を読み込んでの学術書に近いですが、これはそういった1次資料ではありません。加藤さんの本とか歴史学者の文献に基づいて書かれてあるようでが、索引がないのが不満です。

 内田樹さんも称賛していますから確かな人だと思いますし、加藤本とほぼ同じような内容でした。

『ドラガイ/田崎健太』

 ドラフト外で入団して活躍したり、話題となった選手を紹介するノンフィクションです。

f:id:denden_560316:20200830223012j:plain

  

 取り上げられたのは、石井琢朗(横浜)、石毛博史(読売)、亀山努阪神)、大野豊(広島)、団野村(ヤクルト)、松沼博久・雅之兄弟(西武)です。

 私はプロ野球が好きですから、ここで取り上げられた選手の名前や、活躍した時期等は、団野村(彼がなぜ取り上げられるのか、この本のテーマでふさわしくない。野村克也の義理の息子としか考えられない)を除いて、それなりに知ってはいましたが、それぞれに面白い人生です。 

 この中で大野豊だけがテスト生です。他はそれなりにスカウトの目に留まっています。私と同学年ですが、プロに入るまでは、まったくと言っていいほど輝く時期がない男でした。それがプロでは、同学年の江川や掛布よりも長く活躍して輝かしい成績も残しました。

 もちろん才能もあったのでしょうが、運よくテストに合格したこと、江夏豊に出会えたこと、広島の黄金期であったこと、彼には幸運があったと思いました。

『もてたいと思っている男ってなんであんなに気持ち悪いんだろう』『大島薫先生が教えるセックスよりも気持ちいいこと/大島薫』

 大島薫は元アダルトビデオのゲイ、女装ゲイ、男の娘の俳優として出演していたが引退して、現在はタレント、文筆業となっています。インターネットで見た限りではかわいい顔をしています。でもこの2冊を読んですごく常識的で頭のいい人だと思いました。

f:id:denden_560316:20200830223036j:plain

 2冊とも短い文章のエッセイ集です。彼の体験と考察、そして科学的根拠も調べています。いろいろと新しいことを知りました。

 『もてたいと…』は82本の短文(1頁半)と2本のコラムで、見た目オンナである利点を生かして、男に対して的確なアドバイスを書いています。感心したことを列挙していきます。

 ①デートの時は女性の歩く速度に気を遣う②女は同意を求めている③オンナの化粧は自分がテンションを上げるため④センスをほめる⑤恋愛は知能指数や社会経験がものを言う⑥嫉妬はしても束縛するな⑦「試し行動」する女もいる⑧仕事関係の異性とは半個室⑨女性の恋愛には理由が必要⑩愛情を伝えることに怠けてはいけない。

 『大島先生が…』は126項と3つのコラムです。セックスに関する新しい言葉をいろいろと知りました。性感帯には「純粋」「錯覚」「連想」があるとか、迷走神経(これは医学用語らしい)というものも知りました。男性ホルモンの特性の一つに「服従傾向が強い」のも納得でした。

 

コロナ禍の映画状況

 

標記のタイトルで以下の文章を書きました。兵庫県自治体問題研究所から依頼があり、兵庫県版「住民と自治9月号」という冊子に掲載されます。

※  ※  ※  ※

解除されても

 映画館は、緊急事態宣言が525日に解除されて以降、徐々に開いて行きました。幸いなことに兵庫県下では廃業した映画館はないようです。

しかしどの映画館も「3密」回避のために定員を半分に制限しています。ミニシアターは1月半の閉鎖期間の維持費も大きな負担となっていますが、日常的な経営も厳しいですから、この状態が続くようだと、これからの経営自体が厳しくなります。

 元町映画館などは70未満の座席数で、もともと満員になる映画は少ないのですが、半数以下の定員では従業員の給料さえ出せなくなるのではと心配です。

 しかも私が見ている限りでは、観客はまだ戻ってきていないように思います。

 自粛ムードが続いていることや新作映画の公開が延ばされていること、高齢者の映画ファンが敬遠しているなど色々な理由があると思います。自粛中にインターネットやレンタルDVDで家庭に居て映画を見ることに慣れたのかもしれません。

映画を劇場や市民ホール等で、大勢と一緒に見るのも映画文化の形で、それを私は守りたいと思います。

映画界の状況

 コロナ禍で映画産業、映像文化も大きな影響を受けています。

4月7日、7都府県に緊急事態宣言が出されて以降、全国的な自粛モードで映画館にも休館要請がありました。大手のシネマコンプレックス等の映画館がそれに応じて休館し、独立座館といわれる地方の小規模な映画館も順次、休館していきました。

兵庫県でも元町映画館が最後となり415日から休館しました。

日本映画界は2019年の映画人口19000万人、興行収入2600億円という経済的には小さな規模ですが、社会的文化的に重要で大きな影響を持っています。公開本数邦画689本・洋画589本も含めて世界有数の映画大国です。

 しかし製作、配給、興行、上映鑑賞とそれぞれに課題があります。製作現場では、大手の映画会社が自前の撮影所を持っていた時代と違って、映画労働者の多くは不安定雇用です。興行面ではヒット作5%の作品が興行収入8割を占めています。製作費を回収できない映画が多くあります。例年、アニメ映画が上位にきています。

邦画も洋画も一部の大企業、とりわけディズニーと東宝が利益を独占している状況です。 

 また全国の映画館は約3500スクリーンありますが、都市部に集中し、映画館がない地域が広がっているのが特徴です。

 その下で映画ファンの身近へ良質の映像文化を届けているのは、地方のミニシアターであり、非劇場で映画館がない地域を回っている映画センター等の移動映画館です。また私が加わっている映画鑑賞団体です。

映画館の自粛、休館が言われると「ミニシアターを救え」と、心ある映画人がさまざまな支援プロジェクトを立ち上げました。政府への政策提案もありましたし、経済支援

f:id:denden_560316:20200823223738j:plain

支援のTシャツ


「ミニシアター・エイド基金」(濱口竜介監督、深田晃司監督が発起人)は1万人以上から3億円を超える資金を集めました。

関西のミニシアターを財政支援するためにTシャツを買ってもらう「SAVE OUR LOCAL CINEMAS」も好評でした。(私も買いました)

しかし移動映画館や市民団体には、映像文化を支えるための支援はありません。

兵庫県映画センターは、学校や地域の公民館などに映画を持ち込んで上映していますが、学校の休校要請があった2月末以降、ほとんどの仕事は中止となっています。夏はイベントの時期ですが回復の見込みもありません。

市民文化活動の再生のために

緊急事態宣言よりも早くから神戸市や兵庫県の公的ホール等は閉鎖しています。映画サークルも32021日『マルクス・エンゲルス』(石川康宏氏講演付き)県民会館での上映が最後で、再開したのは61920日『北の果ての小さな村で』KAVCホールです。

     コロナ禍という生命の危機にある事態ですから、閉鎖や利用制限などは理解できますし、受け入れてきました。しかし再開にあたってのホール側の連絡は一方的で、利用者の意見を聞くとか調整する姿勢ではありません。

それは指定管理者という制度と関連しているのかもしれませんが、全国的な基準に基づく神戸市からの指示を伝えるだけでした。催事の種類や規模に応じた検討などはありません。

KAVCホールの使用条件は、感染症対策として入場定員を当初は1/4(後に1/2に変更)に制限し、参加者名簿作成や体温計設置等も要求されました。

私たちは、それに対応すると同時に、コロナ禍での利用方法について話し合いをすることや使用料の減免等の要望書を提出しました。その後つくられた施設使用料を半額助成する兵庫県・神戸市「芸術文化公演再開緊急支援事業」では映画上映は対象外とされています。

市民団体は、多くが財政状況も厳しく事務局体制も脆弱で「民主的手続き」も大事にするので、緊急事態に機敏に対応することができません。活動再開を会員に伝えるのも苦労しています。

映画サークルは、例会ができない2ヶ月の財政を賄い活動を継続していくためのカンパをHPや例会場で訴えています。

自治体の文化行政の役割は、市民に対して良質の芸術・芸能の提供と併せて市民の文化芸術活動の支援、育成もあります。自然大災害に匹敵するようなコロナ禍で、市民団体は財政的危機に陥っています。

公的ホールを利用し、活動の拠点としている団体について、その実情を把握し適切な支援が求められます。協力協同して乗り越えていく姿勢を持つべきです。(8月2日記)

2020年7月に見た映画

『コリーニ事件』『一度も撃ってません』『芳華』『罪と女王』『真実』『エスケープ-ナチスからの逃亡』『テルアビブ・オン・ファイア』『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』『不愛想な手紙』『プラド美術館 驚異のコレクション』10本です。

『コリーニ事件』

 フィクションが現実を動かす、という素晴らしい法廷小説の映画化です。

f:id:denden_560316:20200820235846j:plain

 殺人犯コリーニを演じるのはマカロニ・ウエスタンの名優フランコ・ネロでごつい顔でいい味を出しています。しかし少年時代とちょっと変わりすぎの感じです。

白昼、豪華なホテルでイタリア人が穏健な企業会長マイヤーを殺害する事件が起きた。犯人は黙秘を続け会長との関係や動機もわからない。しかし担当したトルコ系の新米弁護士は、地道の調査を続けて、犯人の身元を突き止め、とうとう被害者との関係までたどり着きました。

マイヤーは元ナチスの将校で、イタリアで市民を虐殺し、犯人のコリーニは、その時、父を殺された子供でした。

彼とその姉は一度マイヤーを告訴しますが却下されていたことも明らかになりました。それは1968年「ドレーアー法」と呼ばれる、ナチス戦争犯罪に加担した「命令されてやった」人々を救済する法律が作られていたためです。

この映画の原作はナチス戦争犯罪を巧妙に隠そうとする高級官僚を鋭く告発し、国に法律の見直しを促しました。

原作者のフェルディナント・フォン・シーラッハはドイツの高名な刑事事件の弁護士で小説家、そして驚くべきことは彼の祖父はナチスの幹部でした。

『一度も撃ってません』

石橋蓮司が主演、売れないハードボイルド作家で、その妻が大楠道代、元教師という。そこだけで、画面全体が昔の日活ロマンポルノの雰囲気を持っているコメディです。

佐藤浩市が定年間際の編集者で出ていて、軽い役でいい味ですが駄目です。映画出演も主演作品も多く、日本を代表する役者だが、出ている映画が悪い。これはという映画がない。単に運が悪いということではなく、いい監督に呼ばれていないのではと思ってしまいます。

父、三國連太郎が評価した『道頓堀川(監督:深作欣二)では、若いちょい悪のハスラーを演じています。その後の映画ではコメディからシリアス、時代劇まで色々な役回りをで出ていますが、普通に俗人的な主人公や脇役です。いわゆる個性的な役者にはなり切れませんでした。

この映画自体は、特に論評することはありません。

『芳華』

 前半は、人民解放軍の文工団という歌と踊りで、前線を慰問する芸能集団の若者たちの青春を描きます。1976毛沢東が死んだときにやってきた、田舎出の少女に注目するように描きます。彼らは、ある意味エリート集団です。歌や踊りに能力を発揮し、人民解放軍が評価しています。

f:id:denden_560316:20200820235928p:plain

 現在の目で見ても、普通の若者でした。愚かで嫉妬深く、溌溂として恋をしています。

 悪夢のような文化大革命もほぼ終息し、鄧小平が指導する改革開放へと国家方針を切り替えた時代です。

 映画は、中越戦争と文工団解散を挟んで現在へと切り替わります。

 後半は、中越戦争は悲惨な映像がこれでもか、と描くとこから始まります。そこで心身ともに負傷した男と女が、脇役のようでありながら、この映画の中心になります。

f:id:denden_560316:20200820235955j:plain

元文工団で成功した男女をとは違う人生を歩む彼らに焦点を合わすことで現代中国を批判している、と私は思います。

 しかし検閲を経ていますから、そこはソフトな描き方です。中越戦争の経緯や開戦した理由を明示していません。汚職警官を批判します。

この映画は中国で大ヒットしました。それを踏まえて検閲のある映画をどのように見るのか、批評の仕方を考えないといけません。

『罪と女王』

 デンマークの確立された男女平等と個人の自由の中でこその、男女の立場でしょうか。いわば少年をもてあそぶ、高名な女弁護士の傲慢さを描きます。

 夫と家庭を持ちふたりの子どもがいる40代の女性が、諸般の事情から、問題行動の多い、夫の先妻の息子17歳を引き取ります。ふとした弾みで彼とセックスをしてしまいますが、それがバレそうになるや、一切を否定し、彼を大ウソつきにして家から追い出します。そして彼が自殺めいた死にいたるという話です。

 デンマークと日本ではセックスや男女の関係、親子の関係などが違うから微妙なところはわかりません。でも「同意なきセックス」は男からみるとありえないし、この面では17才でも男の責任は負えると思います。捨てられてから死ぬというのが納得できませんでした。

 彼が別の形で、女弁護士に復讐するという映画になれば、これとは違うテーマになってしまうのでしょう。

『真実』

カトリーヌ・ドヌーブジュリエット・ビノシュが主演、監督に是枝裕和と豪華トリオが組んだ映画ですが、平凡な感じです。「映画はテーマ」という面があると認識しました。映像美や娯楽的要素を持つ映画があまりない是枝作品は、豪華女優を配しても、それで魅せると言ことにはなりません。是枝作品のうち私が評価しない系統の映画です。

 国民的な女優であるドヌーブが、老いた国民的女優を演じます。ビノシュが娘で、映画はドヌーブの気ままな振る舞いと二人の葛藤を描きましたが、あまり深まっていません。

 過去の二人に近い女優の謎めいた事件を匂わせますが、それも空振りです。

エスケープ-ナチスからの逃亡』

f:id:denden_560316:20200821000026j:plain

 ナチス占領下のノルウェーユダヤ人少女エスターが、ナチスに追われて、男に化けて都会から田舎の農場に逃げ込みます。

 そこにはナチスのシンパのノルウェー国民統一党の農場主ヨハン、身障者の息子、ナチス将校と不倫している妻がいました。

 ヨハンは障害がある息子を人前に出さず、一人前の扱いをしません。その反動で、機敏に動く男装したエスターを可愛がりました。

 息子は当初からエスターと心を通わせています。妻もエスターの正体を知りながら夫を嫌い、家族は破綻していました。エスターは農場から脱出する機会を狙っていました。

そしてヨハンが、ナチスと国民統一党幹部を家に招く、最高の名誉ある日に、それらの矛盾が爆発します。農場が燃え上がり、お互いに殺し合う、ナチスが敗北へ転換するような場面です。一気のカタルシスありました。

ラストに戦後、生き延びて生家に帰ってきたエスターを描きました。

ナチスものですが、ファシストの農場主とその家族の話でもあります。

『テルアビブ・オン・ファイア』

 西神ニュータウン9条の会のHPに書きましたので、こちらをご覧ください。

 http://www.ne.jp/asahi/seishin/9jyonokai/

 映画サークルの11月例会になりました。

『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』

 スウェーデンの専業主婦はどのくらいいるのだろうと考えました。

ブリット=マリー、彼女は長年、家事と夫の世話をすることだけを考え、完ぺきにこなしていました。夫婦には子供はいません。

f:id:denden_560316:20200821000107j:plain

彼女は、薄々気が付いていた夫の浮気に直面した時に、家を出ます。40年ぶりに働きますが、何の経験も資格も持たない彼女は、田舎町ボリのユースセンターの管理人で少年サッカーのコーチに就きます。

 個性的な住民とも付き合い、サッカーチームの子どももたちも懐きます。子どもたちに移民(難民かも)が混じり、活躍しています。

そして夫が「帰ってほしい」と迎えに来ました。しかし彼女の選択はパリに行くことでした。

 この映画には原作があり、原作も映画も大ヒットしたようです。でも、この映画の何がいいのか私にはわかりません。

『ぶあいそうな手紙』

f:id:denden_560316:20200821000139j:plain

 ブラジル映画ポルト・アレグレという人口140万人の大都市で、一人暮らしの78歳エルネストに、昔の友人から手紙が届きます。しかし彼はほとんど目が見えなくなっていました。隣に耳が聞こえなくなっている、友人がいますが、ちょっとした喧嘩があり、エルネストは同じアパートの住民の姪だという若い女ビアに手紙を読んでもらいます。

 そして返事も彼女に書いてもらいます。彼女と知り合ったエルネストの生活は、少し楽しくなりますが、ビアも色々と訳アリの女です。

 独居老人のわびしい生活ですが、それは自らが選んだものです。ラテンアメリカの老人は子や孫と暮らすことを、潔しとしないようです。だからラストシーンのようになりました。

 私は好きです。 

プラド美術館 驚異のコレクション』

 ナビゲーターを務めるのはジェレミー・アイアンズですから、見てみようと思いましたが、私には無理な映画でした。ダリやゴヤなど知っている画家もいましたが、この世界に入れませんでした。

 スペイン王室のコレクションを核にした美術館の紹介です。

 

 

太子町、たつの市の歴史資料館

8月15日お盆です。網干区垣内のお墓参りをしました。嫁の実家の餅耕地には帰りませんでした。この墓地の管理をしているの浄土宗西山禅林寺派萬福寺で、墓に刻まれているのは「南無阿弥陀佛」か「○○家」でした。宗派と関係あるのかね。

f:id:denden_560316:20200815115509j:plain

垣内の墓地

ある墓に蜂の巣がありました。お花を供えてありますから、この家では殺生をしないということで蜂の巣を取らなかったようです。

f:id:denden_560316:20200815115601j:plain

蜂の巣

墓参りの後は、網干の北にある太子町とたつの市の歴史資料館に行きました。

f:id:denden_560316:20200815125642j:plain

太子町立歴史資料館

太子町は聖徳太子の関係で法隆寺の寺領となり斑鳩という名前を得、そして太子町となったようです。大和朝廷朝鮮半島の関係から交通の要衝として開けていきます。3世紀頃の土器と5世紀頃の土器が展示してあります。なんとなく違いが見えてきます。

f:id:denden_560316:20200815132101j:plain

3世紀頃の土器

f:id:denden_560316:20200815132220j:plain

5世紀頃の土器

下の写真は大名行列の宿舎、本陣の模型ですが、裏側も見えるように鏡が貼ってありました。ちょっと珍しい気がして、ここに載せました。

f:id:denden_560316:20200815132832j:plain

斑鳩町の本陣(魚吹神社の社務所に移築)

城址の中にあるたつの市の歴史資料館です。

f:id:denden_560316:20200815143352j:plain

龍野歴史文化資料館

8月1日から9月13日まで特別展示をしていました。小さな資料館で常設展であるたつの地域の歴史的な展示はほとんどありませんでした。

f:id:denden_560316:20200815140455j:plain

表記の特別展示

龍野が誇る反戦非戦の象徴的な哲学者・三木清と詩人・内海信之です。そして市民から寄せられた戦時中のいろいろな資料が展示してありました。

f:id:denden_560316:20200815141200j:plain

三木清と内海信之

f:id:denden_560316:20200815140751j:plain

f:id:denden_560316:20200815140814j:plain

f:id:denden_560316:20200815140823j:plain

下の資料は戦艦「比叡」の艦長であった西田正雄の資料です。彼は三木清と龍野中学の同期だったそうです。

f:id:denden_560316:20200815141551j:plain

f:id:denden_560316:20200815143010j:plain

 

 

2020年7月に読み終えた本

7月は思いのほか、たくさんの本を読みました。その中から紹介したいと思う本の書評を書いてみました。

『幽霊と自転車/永田よしつぐ』

「幽霊と自転車」「ひとみさんの瞳」「電球」の短編3つ。社会の底辺に生きる真面目な若者の純愛小説という感じ。登場人物はみんな大人ですが、恋愛感情が希薄な感じです。

純文学にしたら思索の深まりがなく、魅力的な人物像の造形もなく、リアルな生活感も出せていないので、永田さんが小説を書くのは無理だと思います。映画評論に集中してください。

『未来少年ケン』『SF短編集(悪夢の死者、リルから来た悪夢)』『ミュータント外伝/桑田次郎

 先月に続き桑田次郎の大人向けの漫画を読みました。人類史を旧人類の誕生、そして新人類が生まれ、両者の生存競争、文明を発展させて、ついには宇宙への進出、異星人との接触と広げています。あるいは「人外魔境」(原作:小栗虫太郎)等、未開の地には人知が及ばない謎がある、と漫画らしい発想です。

 でも通俗的に人間社会の課題、戦争や差別、経済格差などには触れません。

『民主主義の「危機」:国際比較調査からみる市民意識/田辺俊介編著』

f:id:denden_560316:20200810225803j:plain

 これは読了出来ませんでした。世論調査のデータをもとに表記のテーマを探った10人の研究者が書く学術的な文書です。ですから読みにくく、読破する根気がありませんでした。それで各章の最初と最後の単元を読みました。それでもけっこう言いたいことはわかるし、主旨を把握できたと思います。

序章「民主主義の危機を把握するために」1章「若者は本当に政治に無関心なのか」2章「シティズンシップは涵養できるのか」3章「誰が民主政治に参加しないのか」4章「誰が支持する政党を持たないのか」5章「誰がデモに参加するのか」6章「『大きな政府』か『小さな政府』か」7章「自由か安全か」8章「グローバルかナショナリズムか」9章「多文化主義か同化主義か」終章「民主主義の『危機』を打開するために」

 1989年の東西冷戦構造の崩壊、ソ連陣営の自滅によって「自由と民主主義」の政治が勝利したように喧伝されましたが、すぐに「教科書的事実」として「民主主義の危機」が言われ始めました。

その一つに「若者の政治的意識が低い、近年は低くなった、日本は特にそんな感じ」が第1章で取り上げられています。結論は、若年層の政治的関心の低さは社会的な齢間役割分担(年齢による社会的役割)の表れで、いつの時代でもどこの国でも生じてきたこと、というものでした。

年を取れば次第に高くなるといいます。しかし先進国の全体的傾向としては投票率などは低下しているので、若年層でも昔より低い傾向はあるようです。

『真夏の雷管/佐々木譲

 道警シリーズ。佐伯、小島、津久井、道正寺等のいつものメンバーが勢ぞろい。

 JR北海道を不当に解雇された男が、復讐にかられて爆弾テロを画策しようとするが、彼らの活躍で阻止された、という話。その男と彼に協力する少年などを巧みに配し、社会的な背景を作り上げているが、犯人側からの直接な声は書かない。

 周囲の人間の証言でJRがいかにひどいことをやっているかが出てくるが、事実として、それが社会的批判などを浴びて改善されていないのだから、底辺の人間の恨みは封じ込められ、無念さだけが伝わってきた。そこが上手。

『拝啓、衆議院議長様/古川健』

 これは726日のブログに書きました。いいシナリオです。

『炎と苗木/田中慎弥

44編のショートショートです。星新一等のSF作家のそれと違って、明確なオチがあるのは少なく、不条理小説で「奇妙な味」のショートショートになっています。普通の単行本サイズで1編が3頁です。

 安倍政治が嫌いなのはよくわかります。例えば「右傾化」では、実際に体が右に傾いている首相を出しました。思想的なことは書きませんが、メディアの「体が傾ている」報道に対する首相側の言い訳、反論は詭弁を弄し、いかにも彼が言いそうなことでした。

風狂に生きる/三國連太郎・梁日石』

f:id:denden_560316:20200810225902j:plain

 この本の構成は三國連太郎と梁日石の対談がメインです。そして二人について、それぞれ5人が人となりを語っています。三國には渡辺エリ「特殊な光線」、原田美枝子20で三國さんに遭遇した」、相米慎二「時代をはみ出る人」、勅使河原宏三國連太郎の利休」そして水上勉「芯のある人」と主に映画人です。梁も5人で映画監督の崔洋一を除いては私の知らない人達です。

 三國は出演して映画、梁は著作についてそれぞれ自ら解説をしています。

いずれも言葉使いも含めて、かなりあけすけに話しています。それがとても気持ちよく読みました。

 『怪優/佐野眞一』を読んで、もう少し三國を知りたくなりこれを読みましたが、期待どおりでした。「かなり」といっていいほど変人です。5年周期で役者をやめたくなり、一方で役作りで健康な歯を抜いたりしています。

 梁日石の本は読んでいないので、彼については何も言いようがありません。でもこれを読んで彼の評論集『闇の想像力』を借りました。

『現代宇宙論を読む/池内了

f:id:denden_560316:20200810225927j:plain

 1992年に書かれた本で、宇宙論もかなり変わっているだろうな、と思いながら読みました。案の定、21世紀に入って発見、撮影された巨大ブラックホールについては書かれていません。

 しかし宇宙の全体構造をどのように考えるか、それはどのような発見の積み重ねからつくられたかがよくわかります。

 真空とは「何もない空間」と思っていましたがそうではなく、強い電場をかけると、そこから電子と陽電子が生じます。ですから人類が感知できないけれども、そこに何かがあるのです。

 また真空だと思われている空間にはダークマターと言われるもので満たされている、ということも重力を量ることで分かっているといいます。

 宇宙の原初であるビックバンについても説明していますが、私の能力では説明しきれません。関心がある人は、宇宙論の本を読んでください。現在では、そのようなことは常識になっているようです。

 

8月例会学習会「伝統的メディアの現状」坪井兵輔(阪南大学教員)

『i-新聞記者ドキュメント-」の学習会を表記のタイトルで開催しました。

 坪井さんは、前職が毎日放送の記者、ディレクターで新聞やテレビの現場をよくご存じであると思い、学習会を依頼しました。期待にたがわず面白い話が聞けました。

 新聞もテレビも大変厳しい状況であるということが確認できました。この二つを「伝統的」と言っています。インターネット、スマートフォンSNSが普及して以後、「伝統的メディア」の財政的な危機が急速に進行し、その結果、制作の現場は荒廃しているようです。

『i-新聞記者ドキュメント-』の主人公、望月衣塑子さん

f:id:denden_560316:20200802231155j:plain

 講演を聞いて、結論を先に書きますが、権力の監視や調査報道をする能力ある記者の再生産がもっとも重要で急務であると思いました。地方紙の危機は現実のようです。神戸新聞すら危ない状況です。

現場の危機

 新聞の発行部数が激減し、20193780万部と最盛期の3/4になっています。若年層が新聞を読んでいないのです。大学生は2%ぐらいといわれていますが、坪井さんの子どものクラスで古新聞を持ってくるように言われた時に、持ってきたのは40人中3人だったそうです。

 若年層にはニュースはインターネットで無料で読むのが当たり前で、ヤフーニュースに無償で出している産経新聞のニュースが読まれているようです。若年層は産経史観に染まっているといってもいいでしょう。情けないことです。

 インターネットが普及し始めた1995年ごろに、他に先駆けて産経新聞は無償で出しています。しかしそれで新聞の部数が伸びるわけではありません。産経新聞の待遇を聞きましたがひどいものです。非正規雇用に毛の生えた程度です。

 インターネットの配信で成功したのは日経新聞だけだそうです。

 新聞の危機の先例は米国です。地方紙がどんどん廃刊になって、その地域の自治体の取材ができなくなっているようです。「ニュース砂漠」と言って、その地域の住民に地方議会で何が議論されているか、自治体予算の課題は何かとか、知らされていません。その結果、投票率が低迷しています。関心が薄れると民主主義が機能しません。

 日本でも投票率が低下傾向です。そしてかつては選挙報道は、それぞれのテレビ局の社を挙げての最大のイベントで力を入れて番組作りをしたようですが、今は違うと、坪井さんは言います。

 出口調査など社員の半分ぐらいが動員されていたのが、そうではなくなったようです。各政党党首へのインタビュ-など「池上彰に任せればいい」的な発想があるようです。

 東海放送制作の「さよならテレビ」は本当にテレビ局の内部事情をドキュメンタリーにしたようです。このドキュメントで一番びっくりしたのは、分刻みで視聴率が出ることです。誰が担当したコーナー、だれが出た時間帯に見る人が増えるのかてきめんに出ます。それがテレビ局で重要性を増しているようです。

 昔は視聴率が低くとも「いい番組ができた」と酒を酌み交わすことがあったようですが、

今は難しいといいます。 

 民放におけるスポンサーの影響の話もありました。番組全体を買い取る場合はイメージが大事で、スポンサーの意向は必ず反映されるようです。例えば日立製作所がスポンサーであれば、原発の被害などは絶対に欠片も入れた番組制作はできません。

 ワイドショーやバラエティなど、MCの服装、化粧にもスポンサーが付くようです。ペットボトルの水もラベルが見えるように置かれるといいます。サブミニナル効果が狙われているようです。

 そしてテレビ局の現場では下請け化が極端で、制作現場300人中、社員は13人といいます。そして報道番組は金がかかり、しかも視聴率も低いので「肩身が狭い」思いです。

中継車を出せば20万円、ヘリを飛ばせば100万円。コメンテーターは10万円程度です。

暗い見通しだが

 坪井さんは、紙のニュースはなくなるだろうという見通しを言われました。確かに費用対効果でお金に換算すれば、そうなります。

 今、広告料を最もとっているメディアはインターネットです。新聞広告は激減です。

 しかし現状でもテレビのニュースのもとは圧倒的に新聞です。放送局が独自でニュースを取ってくる力はなくなっているようです。インターネットとかSNSに載っているのは信用できません。

 実際に、力のある記者は、大手新聞社やテレビ局で求められているようです。これもビックリでしたが、産経新聞の記者が朝日新聞に大勢転職しているようです。

 権力の監視はジャーナリズムの重要な役割です。それができる記者の育成が肝要だと思いました。どんな社会的な仕組みを作るのか、これは権力や行政ではできません。

 一つは市民運動だと思いました。ユーチューバーとかもいます。ファクトを検証しながら自ら記事も書いていく「市民記者」を大勢作り、その中から専門的な記者に成長してくれればと思いました。

 

 

古川健『拝啓、衆議院議長様』を読んで

神戸演劇鑑賞会の9月例会で表記の芝居をpカンパニーが上演します。

古川健は若い作家ですがいいホンを書きます。セリフもいいですね。

これは2016年相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにつくられた芝居です。

私は運営サークルに入り、会報を担当しました。合計7人が集まっていろいろ議論をしました。原稿の締め切りは来週28日となっています。

私の担当した、この芝居のテーマを考えるような文章は一応できました。それとは別に、最初にこの芝居の脚本を読んだ感想を書いていますのです、それをここに載せたいと思います。

f:id:denden_560316:20200726230656j:plain

神戸演劇鑑賞会9月例会「拝啓 衆議院議長 様」シナリオを読んで。

  1. 一人の若者が多くの障碍者を殺傷した相模原事件、その事実をもとにしている、極めて重いテーマの芝居です。日本も含めた現在の国際社会は表面的には、すべての人間の命と人権を大切にして、差別のない共存共栄する社会をめざしています。しかしつい最近も米国で理不尽な警察暴力が黒人の命を奪う事件があり、根強い黒人差別意識が内在していることが明らかになりました。理想と現実の大きな落差を見せています。

  2. 私たちの身の回りでも、障碍や病気による差別、人種差別民族差別、男女ジェンダーによる差別、宗教差別、職業差別、学歴差別、正規非正規の雇用形態など、多数派が少数派を圧迫し、直接的に命の危険性は少なくとも人権を蹂躙する差別が日常的にあると、気づきます。

  3. 差別は誰の心にも潜んでいる、と言っても過言ではありません。それが米国トランプ大統領の言動やSNSの匿名性などによって差別の「本音」をいうことを躊躇しない風潮が作り出され、それが増幅されています。しかもグローバル化新自由主義施策がG20等主要国の経済政策となり、第2次大戦後に先進諸国で作られてきた福祉国家を内外から崩しています。福祉施策と予算を縮小し経済格差を広げて、人間の価値を「お金を儲ける」という「生産性」を基準とする考え方を広げています。

  4. 2020316日植松聖(芝居では松田尊)被告に死刑判決が下されました。被告は控訴せずに死刑が確定しています。被告の信念「意思の疎通が取れないような重い障害者は、安楽死させたほうが良い。彼らは人々を不幸にするだけだから」にもとづく殺人行為でした。事件前に衆院議長あてに同趣旨の殺人予告の手紙を送っています。判決後も被告は彼らを殺したことは「社会のためにも保護者のために有益になる」という考え方を変えていません。

  1. 「事件は派生的に『生きるに値しない生命はあるのか』という根源的な問いを、わたしたちに投げかけた」(神奈川新聞3/16)もので、安楽死問題、尊厳死問題、出生前診断問題、そして死刑制度までも考えさせます。

  2. 芝居は、被告を弁護するために、弁護士が被告人自身、彼の両親、彼と同じ障碍者施設で働く職場の同僚、被害者の親、精神科医と話し合います。しかし弁護士は被告の考え方を嫌悪することを禁じえず、調査し考えるほど、弁護ができないというジレンマに捕われます。

 弁護士はそれを乗り越えるために、もう一度、関係者の話を聞きに行きます。私たちはどこまで弁護士と一緒に考えることができるでしょうか。芝居の中で浮かび上がってくるさまざま思いに気づき、問題に向き合えるでしょうか。

  1. 障碍者に対する差別を否定する社会ですが、潜在的に彼らの存在を認めたくない、隠したいと思っています。施設自体が人里離れた所あり、肉親や親類縁者には障碍者がいることを隠したい人もいます。施設で働く人々の心にも、心身の負担に耐え切れない時もある、と証言しました。

  2.    人権派」と自認する弁護士の中で矛盾が膨れ上がり、被告の考え方と厳しく対立します。「死刑廃止論」者でいながら被告の考え方を強く否定し「弁護は出来ない」と考えます。

     しかし彼がたどり着いたのは寛容でした。普遍的な「すべての人間の命は大切」を確認しました。

     芝居は裁判が始まる前で終わります。実際の裁判では弁護側は事実関係を争わず、小松被告の精神鑑定による「責任能力」を争点にしました。

     人権派弁護士太田はどのような弁護をするのか、それはこの芝居を観たい人がどのように受け止めたかによります。

出演は以下のような人たちです。

Pカンパニー 第25回公演「『拝啓、衆議院議長様』~シリーズ罪と罰 CASE6~」チラシ裏